愛知県名古屋市東区、「白壁・主税・橦木町並み保存地区」を中心に名古屋の近代化の歴史を伝える建築物が数多く残る「文化のみち」途中にある輸出陶磁器商・井元為三郎(いもとためさぶろう)の邸宅を保存したのが文化のみち橦木館(しゅもくかん)。大正末期〜昭和初期に建築された洋館、和館、茶室、蔵が現存しています。
名古屋の陶磁器産業を牽引した井元為三郎の邸宅を見学
名古屋城三の丸(現在、名古屋市市政資料館、名古屋市役所本庁舎、愛知県庁本庁舎が建つ一帯)、の東側、「白壁・主税・橦木町並み保存地区」は、かつて中級武士の武家屋敷が建ち並んだ場所。
文化のみち橦木館の敷地は600坪で、往時の武家屋敷の敷地割りそのままです。
橦木町(しゅもくちょう)という町名は、外堀の東、南北に走る竪杉町で行き止まりというT字型、それが鐘を打つ撞木に似ていることに由来しています。
明治維新後、陶磁器の輸出の主流は、下絵・染付けから上絵付けへと変化し、瀬戸と東濃で素地を作り、名古屋に運んで絵付けするという工程の分業が進んだことから、瀬戸と東濃、そして名古屋港の中継地点に位置する名古屋市の東北部(とくに広い土地の手に入る武家屋敷跡)は輸出向け陶磁器絵付加工の日本の中心地として栄えました。
明治26年、森村組(日本の陶磁器産業を代表するTOTO、日本特殊陶業、日本ガイシ、ノリタケカンパニーリミテドなど森村グループの祖)の6代目・森村市左衛門(もりむらいちざえもん)が橦木町に東京、京都などから画工1000人を集め、上絵付けの工場を稼働、飛躍への土台がつくられました。
そんな名古屋城東側エリアの陶磁器絵付加工業の集約を背景に、井元為三郎は、明治30年、橦木町の南側にある飯田町(いいだまち)に陶磁器販売の井元商店を創業、明治36年には橦木町に倉庫・店舗を開業し、輸出にも力を入れ、サンフランシスコ、ニューヨークやアジアの各地に支店を開設するまでに発展を遂げています。
昭和7年に完成した名古屋陶磁器会館も井元為三郎の提言で建てられたもので、井元為三郎の銅像も立っています。
名古屋の陶磁器産業を牽引した井元為三郎が、陶磁器輸出の最盛期(輸出陶磁器の8割を名古屋港から積み出し)といわれる大正時代末〜昭和初期に、橦木町に建てた邸宅が、現存する文化のみち橦木館なのです。
大正14年〜大正15年にかけて、まず主屋となる和館、続いて赤く丸いスペイン瓦と半円形の天窓が印象的な洋館、警備の門衛所を建て、昭和になってから西側の蔵を増設し、さらに京都から還暦を記念して茶室が移設されています。
昭和20年に没するまで、井元為三郎はここで暮らしています。
平成6年に井元一族の居住者が没したことから、平成19年、遺族との間で名古屋市所有の土地との等価交換が成立し、耐震工事などを施して平成21年から公開されています。
文化のみち橦木館と名古屋陶磁器会館を訪ねれば、名古屋、そして陶磁器輸出の近代史を学ぶことができます。
文化のみち橦木館 | |
名称 | 文化のみち橦木館/ぶんかのみちしゅもくかん |
所在地 | 愛知県名古屋市東区橦木町2-18 |
関連HP | 文化のみち橦木館公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄桜通線高岳駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名古屋高速都心環状線東新町ランプから約1.5km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 文化のみち橦木館 TEL:052-939-2850/FAX:052-939-2851 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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