岩崎山砦跡(岩崎熊野神社)

岩崎山砦跡(岩崎熊野神社)

愛知県小牧市にある標高54.6mの丘が岩崎山。小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉軍が砦を築き、美濃国の稲葉一鉄と貞通親子が4000の兵を率いて布陣した岩崎山砦跡。頂からは徳川軍が布陣した小牧山を一望に。岩崎熊野神社が鎮座し、神社境内にある花崗岩の巨岩・五枚岩は愛知県の天然記念物。

小牧山の戦いで秀吉軍が砦を構築

花崗岩の岩山で、産する岩は名古屋城の石垣にも使われています(加賀藩の御用石切場として石を切り出し)。
熊野神社社殿裏の巨石群は、縄文時代の祭事跡ともいわれています。
五枚岩に代表される巨石は、新期堆積層からなる濃尾平野の基盤岩が露出したもの。
風化浸食作用により岩が花崗岩の節理面に沿って5枚に分離したのが五枚岩の名の由来です。

天正12年(1584年)、織田信長亡き後、織田信雄(おだのぶかつ=織田信長の次男)は、大坂城を築いた羽柴秀吉(豊臣秀吉になるのは天正13年)から年賀の礼に来るように命令されたことを契機に秀吉に反発、徳川家康に接近します。
徳川家康と羽柴秀吉が雌雄を決しようとしたのが小牧山の戦いで、徳川軍が布陣した小牧山を睨んで、北東3kmほどの場所に位置する秀吉軍の砦が岩崎山砦。
その東には外久保砦(秀吉が本陣・楽田城を出陣し指揮をとったとされる太閤山)、秀吉軍の主陣の小松寺砦(丹羽長秀、丹羽長重)、田中砦(堀長政、蒲生氏郷、加藤光泰)、二重堀砦(秀吉軍の最前線・日根野弘就)がありました。

岩崎山砦など一帯の砦は、羽柴秀吉と織田信雄が講和した後に廃城となっています。

岩崎山砦跡(岩崎熊野神社)
名称 岩崎山砦跡(岩崎熊野神社)/いわさきやまとりであと(いわさきくまのじんじゃ)を利用
所在地 愛知県小牧市岩崎1337
関連HP 小牧市公式ホームページ
電車・バスで 名鉄小牧線味岡駅から徒歩10分
ドライブで 名古屋高速11号小牧ICから約4km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 小牧市教育委員会 TEL:0568-76-1623
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

小牧市歴史館(小牧山城)

織田信長は、1562(永禄5)年に徳川家康と清洲城(清須城)で清洲同盟を結ぶと、いよいよ濃尾平野の制覇、美濃攻略の拠点として1563(永禄6)年、濃尾平野を見渡す小牧山(こまきやま)に城を築いています。小牧山城の構造は、山全体(約21ha)

史跡小牧山

濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短い間で小牧山城は廃城

 

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