愛知県新城市、長篠の戦いの設楽原決戦の地近くにのが新城市設楽原歴史資料館。織田・徳川連合軍が鉄砲3000丁、馬防柵を準備して武田の騎馬隊を退けたとされる「長篠・設楽原の戦い」と幕末の日米修好通商条約調印の立役者である岩瀬忠震(いわせただなり)を解説するミュージアムです。
長篠・設楽原の戦い、岩瀬忠震が二大テーマ
館内は、 設楽原の戦い(『鳥居強右衛門磔図』、設楽原から出土した鉄砲玉などで激戦を紹介)、火縄銃、岩瀬忠震、火おんどり、企画展示という5つのコーナーに分かれています。
注目は長篠の戦いで大活躍したという火縄銃。
資料館が所蔵、展示している火縄銃、古式銃はその質、量ともに日本一の規模を誇っているのです。
もうひとつのテーマ、岩瀬忠震は設楽領主・設楽市左衛門貞丈(旗本)の三男で、22歳で旗本岩瀬忠正の養嗣子に。
幕末の嘉永7年(1854年)、老中首座・阿部正弘(あべまさひろ)にその才能を見出されて目付となり、翌年、日露和親条約修正交渉全権を命ぜられています。
安政3年(1856年)、そして安政5年(1858年)にはタウンゼント・ハリス(Townsend Harris)と会談し、安政5年6月19日(1858年7月29日)、日米修好通商条約に神奈川沖に停泊するUSS ポーハタン号上で調印。
長篠城の本丸跡に建つ長篠城址史跡保存館との共通券があるのでハシゴをすれば理解が深まるはず。
名称 | 新城市設楽原歴史資料館/しんしろししたらがはられきししりょうかん |
所在地 | 愛知県新城市竹広信玄原552 |
関連HP | 新城市公式ホームページ |
電車・バスで | JR飯田線三河東郷駅から徒歩15分 |
ドライブで | 新東名高速道路新城ICから約2km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 新城市設楽原歴史資料館 TEL:0536-22-0673 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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