愛知県名古屋市中区大須にある長屋の富士講(富士山信仰)の歴史を今に伝える社が富士浅間神社。明応4年(1495年)、 後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の勅命で、駿河国(静岡県)富士宮の富士権現(現・冨士山本宮浅間神社)から分霊を勧請して創建した神社で、江戸時代には富士山観音寺(清寿院)の境内社だったもの。
尾張名古屋の富士山信仰の中心地
大永6年(1527年)、前津にあった小林城主・牧長清(正室は織田信長の妹)が再建しています。
寛永10年(1633年)、徳川義直(とくがわよしなお/家康の第九子・尾張藩の初代藩主)の室・高源院が改築しています。
明治以前には修験道当山派の富士山観音寺(寛文7年に藩命で清寿院と改名)の鎮守社でした。
富士山観音寺(清寿院)の広い境内には芝居小屋や見せ物小屋が並んだといい、尾張三名水のひとつ「柳下水」も境内にありました。
清寿院は明治5年に廃仏棄釈で廃寺となり富士浅間神社だけ残されています。
現存する社殿は、昭和4年築のもの。
商売繁盛を願う大須らしく、富士山信仰の神社ながら本殿前には招き狐が鎮座しています。
ちなみに江戸時代の富士講の指導者・食行身禄(じきぎょうみろく)は伊勢国一志郡美杉村川上(現・三重県津市)の出身。
晴れた日には冨士山を望むことのできた尾張国には富士山信仰が根付いていたのです。
神社近くにある那古野山古墳(那古野山公園)は、かつては富士山観音寺(清寿院)の後園で、明治12年には名古屋市最初の公園(浪越公園)となっています。
富士浅間神社(大須) | |
名称 | 富士浅間神社(大須)/ふじせんげんじんじゃ(おおす) |
所在地 | 愛知県名古屋市中区大須2-18-28 |
電車・バスで | 地下鉄鶴舞線大須観音駅から徒歩5分 |
ドライブで | 名古屋高速2号東山線白川出口から約1km。または、名古屋高速都心環状線東別院出口から約1.5km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 富士浅間神社 TEL:052-231-3880 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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