地元では名君として知られる吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)が、1686(貞享3)年、洪水被害にあえぐ領民たちのために、私財を投げ打って築いた堤が西尾市吉良町に残される黄金堤(こがねつつみ)。高さ4mの堤を長さ180mに渡って築いた結果、稲穂が黄金色に実るようになったことが名の由来です。
吉良上野介義央の善政を示す治水事業の数々
吉良上野介義央は、時の西尾藩主・土井利意と話し合い、領地の北、岡山村を管轄する岡山陣屋の代官・斉藤金右衛門に命じて、瀬戸の山と岡山の山間に堤を築きました。
西尾藩主・土井利意は、不本意だったと思われますが、吉良上野介義央には大名を上回る力があったのです。
村人を動員して一夜にして築いたので「一夜堤」と呼ばれていますが、実際の工事期間は定かでありません。
『忠臣蔵』では、意地悪く描かれている吉良上野介義央ですが、この黄金堤の建設をみても、名君といわれる理由が垣間見えます。
明治政府は堤を取り壊す計画を立てましたが、地域住民達の強い熱意で、昔のままに保存され、今では桜の名所になっています。
吉良領内では須美川の水を水田に引き込む寺島用水も掘削していますし、1697(元禄10)年に富好新田を開発。
吉良上野介義央の正室・富子の眼病が回復したことを祝って付けられた名前なのだとか。
領地入りした際には、自ら愛馬の赤馬に乗り、路傍ですれ違う領民に親しく声をかけたということで、江戸・天保年間に子供用の玩具(郷土玩具)として「吉良赤馬」が生み出されています。
黄金堤 | |
名称 | 黄金堤/こがねづつみ |
所在地 | 愛知県西尾市吉良岡山鎧 |
関連HP | 西尾市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄西尾駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 東名高速道路音羽蒲郡ICから約22km |
駐車場 | 25台/無料 |
問い合わせ | 西尾市観光協会 TEL:0563-57-7840 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag