愛知県半田市にある戦時中に海軍の航空機を生産した中島飛行機半田製作所の滑走路跡が、中島飛行機滑走路跡。北西から南東にのびる滑走路は全長924mの1本。南東側が堤防に当たるため、中島飛行機半田製作所の生産機、艦上攻撃機「天山」や艦上偵察機「彩雲」は、離陸できても着陸はできない離陸専用滑走路でした。
戦時中に海軍機を生産した中島飛行機の滑走路
大正時代に堤防を作って開拓された土地に中島飛行機の新工場建設を誘致し、昭和17年8月20日に地鎮祭が行なわれ、広大な工場と、滑走路が建設されました。
昭和18年中には、滑走路から初号機を飛ばすことが海軍からの至上命令でもあったため、最初に組立工場と滑走路が建設ました。
当初は、幅70m、長さ2540mの南北滑走路、長さ1790mの東西滑走路が造られる予定でしたが、全長924mの1本だけで終戦を迎えています。
当然、アメリカ軍もこの工場と滑走路は承知しており、「KAMEZAKI AIRFIELD(亀崎飛行場)」と呼んでいました。
滑走路の西側には中島飛行機半田製作所の工場がありました。
半田市上浜町に本社を構える機体部品の製造メーカー・輸送機工業(富士重工の子会社)は、中島飛行機半田製作所の後継企業です。
滑走路末端部の離陸のためのターニングポイント(展開場所)も市街化されながらも円形に残されています(滑走路脇の排水路も現存)。
中島飛行機半田製作所で生産した飛行機は、この滑走路を飛び立ち、伊勢湾を渡って、鈴鹿航空隊などに空輸されて再整備され、海軍に納品されています。
終戦に至るまでの間に中島飛行機半田製作所では、発注された2411機に対して1417機の機体を生産しています(疎開工場の小松工場分を含む)。
カブトビールを生産していた大日本麦酒半田工場(現在の半田赤レンガ建物)も中島飛行機に接収され、厚生課の本拠が置かれています。
中島飛行機滑走路跡 | |
名称 | 中島飛行機滑走路跡/なかじまひこうきかっそうろあと |
所在地 | 愛知県半田市中午町101-2 |
ドライブで | 知多半島道路半田中央ICから約6km |
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