半田運河

愛知県半田市を流れる知多半島最大の河川、十ヶ川(じゅっかがわ)の河口部分に開削された運河が半田運河。江戸時代に半田は酒や酢の醸造で繁栄しましたが、江戸に輸出する半田湊が十ヶ川からの土砂の堆積のため、元禄年間(1688年〜1704年)に運河を開いたもの。酢や酒の搬出、原料の搬入にも利用された運河です。

黒澤明監督デビュー作『姿三四郎』のロケも!

もともと大雨が降ると天井川の阿久比川が氾濫して、半田町一帯が浸水してしまうので、川の流れを変えるために半田運河が開削されました。

「ミツカン」の祖である中埜又左衛門が江戸に粕酢を出荷し始めたのは文化7年(1810年)頃のこと。
当時、江戸で「早すし」(握り寿司)が流行しているのを見て、酒粕を原料に安価な粕酢を生み出し、当時高価だった米酢に代わる「早すし」(握り寿司)の酢として売り出すと、これが評判となり、江戸前の握り寿司が江戸庶民に定着する文化となったのです。
中埜又左衛門は、嘉永7年11月4日(1854年12月23日)に発生した安政東海大地震と、その翌年、安政2年(1855年)の大水害で荒廃した半田の復興に資金を投じて尽力し、入江を大拡張するなど半田運河の修復を手掛けています。
   
運河沿いには、弘化元年(1844年)、創業の中埜酒造の酒蔵を再生した「國盛・酒の文化館」、明治22年築の旧中埜半六邸と半六庭園、「伝統食品の近代化や新たな食文化の創造に挑んだ中部・近畿の食品製造業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産にも認定のミツカン工場群、そして日本唯一の酢の博物館である「MIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)」などが並び、往時を偲ぶことができます。

昭和18年公開、黒澤明監督の監督デビュー作となる『姿三四郎』は、江戸時代の面影を残すミツカン工場群の前で撮影されています。
矢野正五郎(大河内傅次郎)が敵を川に投げ込むシーンが昭和17年12月に撮影され、運河沿いのプロムナードにはその撮影風景がパネルで紹介されています。

例年4月上旬〜5月上旬には半田運河に鯉のぼりを吊るす『半田運河の鯉のぼり』が行なわれています。

半田運河
名称 半田運河/はんだうんが
所在地 愛知県半田市
関連HP 半田市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR武豊線半田駅から徒歩7分。名鉄河和線知田半田駅から徒歩12分
ドライブで 南知多道路半田ICから約5km
駐車場 蔵のまち東駐車場(247台/無料)
問い合わせ 蔵のまち観光案内所 TEL:0569-32-3264
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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