真宗大谷派名古屋別院(東別院)

真宗大谷派名古屋別院(東別院)

愛知県名古屋市中区にある真宗大谷派の寺、真宗大谷派名古屋別院(東別院)。浄土真宗本願寺派の「西別院」に対して、「東別院」と通称され、地元では「御坊さん」(ごぼうさん)と呼ばれています。建物の建つ場所は、織田信長が元服した古渡城(ふるわたりじょう)の城跡。

江戸時代、尾州名古屋御坊として創建

真宗大谷派名古屋別院(東別院)

元禄3年(1690年)、尾張藩第2代藩主・徳川光友(とくがわみつとも=家康の孫)が天文17年(1548年)に廃城となった古渡城の城跡を寄進し、尾張藩の触頭(ふれがしら=上申下達などの連絡を行なう中枢寺院)、尾州名古屋御坊として創建された真宗大谷派(東本願寺)の拠点。
古渡城は、織田信秀が那古野城を子・信長に譲った後、居城とした城で、天文15年(1546年)、信長はこの地で元服しています。
元禄15年(1702年)には最初の本堂が、文政6年(1823年)には再建された2代目の本堂が完成。

明治7年11月〜明治11年6月には名古屋城三の丸の愛知県庁が陸軍用地に組み込まれたため、名古屋別院(東別院)に愛知県庁機能が移され、愛知県議会も当初は名古屋別院(東別院)を議場にしていました。
つまり、明治維新後、愛知県の中枢機能がこの名古屋別院(東別院)にあったのです。

明治7年5月1日〜6月10日に愛知県県令・鷲尾隆聚(わしのおたかつむ=明治6年に愛知県令に就任した倒幕派の公家)の尽力で開催された『名古屋博覧会』(名古屋市で最初の博覧会)の会場になり、名古屋城天守閣の金鯱、中根村(現在の名古屋市瑞穂区)で出土した銅鐸、有松絞や八丁味噌などが展示出品され、多くの人出を集めました(30日の会期を10日延長)。

明治23年3月29日〜4月2日、明治天皇を統監、参謀総長有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王を審判官副長に配し、日本最初の陸海軍連合大演習が愛知県知多郡半田町(現・半田市)を中心に行なわれた際、明治天皇が半田へ入る前々日の3月28日、名古屋大本営を設けて行在所(あんざいしょ)としたのが、名古屋別院(東別院)です
そのため名古屋別院(東別院)境内には、明治天皇名古屋大本営碑が立っています(明治天皇半田大本営は、小栗冨治郎邸=現・中埜酒造「國盛・酒の文化館」に設けられ、石碑は半田市の雁宿公園にあります)。

往時の建物は名古屋空襲で失われ、現存する建物は戦後の再建。
名称は、当初名古屋御坊でしたが、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の荒波を受け明治4年に名古屋本願寺に、明治6年に名古屋管刹、明治9年に名古屋別院になっています。

真宗大谷派名古屋別院(東別院)
真宗大谷派名古屋別院(東別院)
名称 真宗大谷派名古屋別院(東別院)/しんしゅうおおたにはねごやべついん(ひがしべついん)
所在地 愛知県名古屋市中区橘2-8-55
関連HP 真宗大谷派名古屋別院(東別院)公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄名城線東別院駅から徒歩5分
ドライブで 名古屋高速道路東別院ICから約700m
駐車場 参拝者駐車場を利用
問い合わせ 真宗大谷派名古屋別院(東別院)TEL:052-321-9201/FAX:052-321-3184
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
古渡城

古渡城

愛知県名古屋市中区、現在の真宗大谷派名古屋別院(東別院)境内にあった中世の城跡が古渡城(ふるわたりじょう)。天文3年(1534年)、織田信長の父・織田信秀(おだのぶひで)が三河を睨んで築城した城で、織田信長は、天文15年(1546年)、古渡

 

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