愛知県名古屋市中村区、明治18年建立の豊国神社を中心に整備された中村公園は、豊臣秀吉誕生の地。公園の一画に豊公誕生の地碑(ほうこうたんじょうのちひ)が立っています。天文6年2月6日(1537年3月27日)、尾張国愛知郡中村郷中中村(現・名古屋市中村区)に生誕しています。
豊臣秀吉の出生に関しては、今も謎に包まれている
木下弥右衛門の子として、中村郷に生誕とされ、幼名は日吉丸、あるいは小竹。
江戸時代初期、旗本土屋知貞の記した『太閤素生記』には、足軽・木下弥右衛門、なかの子と記されています。
当時の中村郷は、上中村、中中村、下中村に分かれていましたが、『太閤素生記』には、「秀吉ハ中々村ニテ出生」、そして天文5年正月元旦に生まれたと記されています。
ただし、豊臣秀吉に御伽衆(おとぎしゅう=側近)・大村由己が記した『関白任官記』に「誕生の年月を算(かぞ)ふるに、丁酉二月六日吉辰(きっしん)なり」と記されるので、正月元旦の日の出とともにというのは後世の脚色で、天文6年2月6日ということがわかります。
『太閤素生記』には父・木下弥右衛門は織田家に仕える鉄砲足軽と記されていますが、鉄砲の伝来が天文12年(1543年)の種子島とするなら、鉄砲伝来以前に鉄砲足軽をしていたことになり、これも後世の創作ということに。
下級武士だったのか、農民だったのかも定かでありませんが、肥沃な濃尾平野を背景にいち早く兵農分離が進んだ尾張国ではありますが、農家の長男が足軽に転身したかというと少し疑問にも思えます。
足軽など下級武士の子だったとするのが通説となるのです。
羽柴秀吉を名乗ったのは、先輩にあたる丹羽長秀、柴田勝家の名跡(みょうせき)を借用してという、秀吉らしい処世術で出世街道を歩みます。
豊臣秀吉誕生の地近くの妙行寺には、加藤清正の生誕地碑も立っていますが、築城の名手で初代肥後熊本藩主となる加藤清正は、永禄5年6月24日(1562年7月25日)、刀鍛冶・加藤清忠の子として生まれ、25歳も年下です。
秀吉の生母・大政所と加藤清正の母が従姉妹(あるいは遠縁の親戚)であることから、長浜城主となった羽柴秀吉に小姓として仕え、出世街道を歩んでいます。
豊公誕生の地碑の解説板には、秀吉の生まれは中中村ではなく、下中村とする説もあると記され、石碑は立っているものの、実は生誕地すら定かでないことがわかるのです。
中村公園・豊臣秀吉誕生の地 | |
名称 | 中村公園・豊臣秀吉誕生の地/なかむらこうえん・とよとみひでよしたんじょうのち |
所在地 | 愛知県名古屋市中村区中村町高畑68 |
関連HP | 中村公園公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄鶴舞線大須観音駅、または名城線矢場町駅から徒歩5分 |
ドライブで | 名古屋高速5号万場線黄金出口から約4km |
駐車場 | 中村公園駐車場(25台/有料) |
問い合わせ | 中村公園事務所 TEL:052-413-5525/FAX:052-485-7163 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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