旅籠屋「清明屋」

旅籠屋「清明屋」

愛知県豊橋市二川町、東海道五十三次のひとつ、二川宿(ふたがわしゅく)の中心、現存する本陣を資料館にした二川宿本陣資料館近くにあるのが、旅籠屋「清明屋」(はたごやせいめいや)。「清明屋」は、江戸時代後期から明治時代まで二川宿で営まれた旅籠屋で、往時の建物が現存、見学が可能です。

文化14年(1817年)築の旅籠(はたご)が現存!

旅籠屋「清明屋」
本陣に隣接して旅籠屋「清明屋」が

旅籠屋(はたごや)は現在の旅館で、自炊形式の木賃宿(きちんやど)に対して、1泊2食付きの宿泊を提供した施設で、二川宿には30軒以上の旅籠屋が軒を並べていました。
当主は代々八郎兵衛を名乗り、本陣の東隣にあることから、大名が本陣に宿泊する際には家老などの上級武士の宿泊所ともなった場所です。
現存する建物は、解体修理の結果、文化14年(1817年)築であることが判明しています。

明治以降、鉄道の開通で街道が衰退すると、呉服・太物・小間物・雑貨などを扱う商家として生き残り、戦後は薬局を営みましたが、平成12年に倉橋家から豊橋市に寄贈され、街道に面したミセの間などのある主屋、繋ぎの間、奥座敷などを江戸時代の旅籠屋の姿に復原し、平成17年4月29日より一般公開しています。

東海道に面しての間口は狭いのですが、奥行きが長いという空間利用で、1階は板の間の「ミセの間」(帳場などがありました)、台所、奥の間、繋ぎの間、奥座敷と続いています。
表構えは、1階が大戸、蔀、2階は全面出格子とする典型的な旅籠屋建築の形態を保っています。

全国に数ある宿場のうち、本陣(二川宿本陣資料館)、商家(商家「駒屋」)、そして旅籠(旅籠屋「清明屋」)が往時のままに現存するのは、二川宿が唯一です。

旅籠屋「清明屋」
旅籠屋「清明屋」
名称 旅籠屋「清明屋」/はたごや「せいめいや」
所在地 愛知県豊橋市二川町中町
関連HP 二川宿本陣資料館公式ホームページ
電車・バスで JR二川駅から徒歩6分
ドライブで 東名高速道路豊川ICから約18km
駐車場 二川宿本陣駐車場、二川宿本陣資料館第2駐車場を利用
問い合わせ 豊橋観光コンベンション協会 TEL:0532-54-1484
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
二川宿

二川宿

愛知県豊橋市二川町・大岩町、東海道五十三次の33番目の宿場が、二川宿(ふたがわしゅく)。遠州(静岡県西部)との国境近く、三河国(愛知県東部)最東端の宿場で、日本橋から西に72里3町(283km)に位置し、遠州側が白須賀宿、西は吉田宿(現在の

豊橋市二川宿本陣資料館

二川宿本陣資料館

東海道二川宿(ふたがわしゅく/愛知県豊橋市)にある旧東海道の本陣遺構で、東海道で現存するのは近江・草津宿(滋賀県草津市)とここだけ。文化4年(1807年)〜明治3年まで本陣を務めた馬場家の遺構で、表門、主屋、書院棟、土蔵などが保存復元され、

商家「駒屋」

商家「駒屋」

東海道では貴重な本陣遺構が残る二川宿(ふたがわしゅく/愛知県豊橋市)。商家「駒屋」は、二川宿で商家を営むかたわら、問屋役や名主などを勤めた田村家の遺構で、主屋・土蔵など8棟の建物が現存し、公開されています。二川宿の本陣と旅籠屋が現存し、資料

岩屋観音

岩屋観音(岩屋緑地)

東海道・二川宿(ふたがわしゅく/愛知県豊橋市)のはずれにある小山、岩屋山の頂に鎮座する聖観音立像が岩屋観音。明和2年(1765年)、豊川に架かる吉田大橋の架け替え工事を請け負った江戸・下谷の大工たちが難工事打開に岩屋山上に祈願建立。その後、

二川宿本陣まつり大名行列

第31回二川宿本陣まつり大名行列|豊橋市|2024

2024年11月4日(月・振替休)12:30〜、愛知県豊橋市で『第31回二川宿本陣まつり大名行列』が行なわれます。三河吉田藩主・松平信明(まつだいらのぶあきら=徳川幕府の老中・老中首座で、蝦夷地開拓などに尽力)の大名行列をモデルに、時代風俗

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ