永禄3年(1560年)、那古野城(愛知県名古屋市、後の名古屋城)を目指し駿河・遠州・三河の4万5000余の大軍で西へと進軍する今川義元に対し、尾張を統一目指していた織田信長が挑んだ合戦が、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)。織田信長の天下統一への起点、そして松平信康(徳川家康)が今川家の支配を脱した戦いになっています。
織田信長の作戦は奇襲ではなく、緻密な計略があった!
今川義元は、駿府(現在の静岡県静岡市)を拠点に、遠州(静岡県西部)、そして三河(愛知県東部)を従え、尾張(愛知県西部)の織田信長と対峙していました。
今川義元の拠点である駿府は、大内氏の山口、朝倉氏の一乗谷とともに「戦国三大文化」と呼ばれる今川文化が栄えた地で、その駿府で人質生活を送った徳川家康(人質時代は幼名・竹千代、今川義元より偏諱を受けて松平元信、その後松平元康と名乗る)は、文武に励み、元服、結婚(今川義元の姪・瀬名=築山殿を娶る)をし、桶狭間の戦いの前年、永禄2年(1559年)には長男・松平信康が産まれています。
これまで桶狭間の戦いを描いた映画や大河ドラマなどでは、織田信長軍が坂を騎馬で駆け下る奇襲作戦が描かれてきましたが、最近では織田信長の側近くに仕えた太田牛一(おおたぎゅういち)『信長公記』などの史料の見直しによって、今川義元は上洛を目指していたわけではなく、むしろ織田信長の挑発で、尾張進軍を決めたという見方に変化しています。
鷲津・丸根両砦が今川方から攻撃されるのを確認するまでは攻撃していない点からも、奇襲作戦とはいえないのです。
近年の研究で明らかになった合戦の経過は、まず、今川軍に攻めさせ、さらには攻撃前夜の軍議ですら作戦を明かさず(今川軍に攻撃が漏れないため、自軍の諸将にも作戦を秘匿)、あえて鷲津・丸根両砦を攻撃させ、勝利を確信した今川義元が駿府へと戻る気配を見せた際に、今川義元の本隊を追撃するという鮮やかな作戦です(ただし、丸根砦を守っていた佐久間大学は戦死、味方を捨て駒にする戦法は、佐久間信盛との確執を生みました)。
今川義元は、織田信長の挑発にのって、永禄3年5月12日(1560年6月5日)近藤景春(こんどうかげはる)の沓掛城(現・愛知県豊明市沓掛町)に入城(この時点では、名古屋市緑区にあった鳴海城と沓掛城は、尾張国ですが今川支配下に=今川氏の勢力が強いため寝返っていました)。
織田信長は、鳴海城の周辺には丹下砦・善照寺砦・中嶋砦を、大高城(現・名古屋市緑区大高町)の周辺には丸根砦・鷲津砦を築いて今川軍を挑発。
松平元康(徳川家康)は、今川義元の命により、今川軍の先鋒として、永禄3年5月18日(1560年6月11日)、織田軍の取り囲む大高城に物資を届け、その城主として合戦に備えます。
永禄3年5月19日(西暦1560年6月12日)、織田軍が今川義元の前衛軍を突破し、本陣に攻撃を加え、ついに今川義元を討ち取ります。
今川義元が討ち死にした現場は、今川家の資料では「田楽窪」(現・豊明市沓掛町)と記録されていますが、桶狭間古戦場は、豊明市と名古屋市緑区にわたる広範囲な場所だと推測されています。
叔父の織田軍・水野信元が、家康を大高城から岡崎へと逃す
織田軍の水野信元(みずののぶもと=異母妹が家康を産んだ於大の方、桶狭間は水野家の家臣・中山勝時の領地)は、甥(おい)となる松平元康(徳川家康)のもとへ、浅井道忠(あさいみちただ)を使者として派遣し、今川義元が討たれたことを伝えて、岡崎への逃走を手助けしています。
さらに浅井道忠は、岡崎への先導をしたともいわれ、松平元康(徳川家康)は氏寺の大樹寺に逃げ込んでいます(今川軍が家康の生誕地・岡崎城を占拠していたため)。
絶望した松平元康(徳川家康)は、自害を考えますが、第13代住職・登誉天室(とうよてんしつ)は、「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど・ごんぐじょうど=穢れたこの世を離れ、浄土に往生することを願い求める)という浄土宗の言葉を幟(のぼり)に記して与えて励まし、自害を思いとどまらせています。
この教えを受け、松平元康(徳川家康)は、今川軍が去った岡崎城に「捨城ならば拾はん」と語って入城したと伝えられています。
徳川家康の馬印「厭離穢土 欣求浄土」が生まれたのは、この登誉天室お教えから。
その後、大高城から松平元康(徳川家康)を逃した叔父・水野信元の仲介で、永禄5年1月15日(1562年2月18日)、清州城で織田信長と面会し清洲同盟を締結。
肥沃な濃尾平野を背景に、兵農分離の進んだ尾張、三河両国の織田・徳川の連合軍が生まれることで、織田信長、徳川家康の天下取りへと大きく前進したのです。
桶狭間の戦い | |
名称 | 桶狭間の戦い/おけはざまのたたかい |
所在地 | 愛知県名古屋市・豊明市 |
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