大津町駅跡

大津町駅跡

愛知県名古屋市中区、「瀬戸電」と呼ばれた名古屋鉄道瀬戸線、名古屋城のお濠区間にある駅跡が、大津町駅跡(おおつまちえきあと)。瀬戸電気鉄道の娯楽園駅として開業した歴史ある駅で、栄町駅への地下延伸工事で、昭和51年2月15日、お濠区間の廃止とともに廃駅になっています。

名古屋城の外堀に「瀬戸電」が走っていた!

大津町駅跡

名古屋城の外堀の堀底部分に瀬戸電気鉄道が敷設され、相対式2面2線のホームと駅舎が外堀の内部にあるという異色の駅でした(終点は堀川駅でしたが大津町駅始発が多く、実質的なターミナル駅で、瀬戸行きの特急も発車していました)。

愛知県庁や名古屋市役所、名古屋城(名城公園)などへの玄関駅としても機能し、昭和40年10月15日には北側に名古屋市営地下鉄名城線の市役所駅(現・名古屋城駅)が開設されたため、地下鉄への乗り換え駅にもなっていました。

大津橋南詰西側から駅跡に降りる階段や手すりが現存し(階段入口には柵が設けられ、立ち入ることはできません)、往時を偲ばせています。

瀬戸物の繁栄を背景に生まれた瀬戸電

大津町駅跡

瀬戸電と呼び親しまれた名鉄瀬戸線は、明治38年4月2日、瀬戸駅(現・尾張瀬戸駅) ~ 矢田駅間(14.6km)を瀬戸自動鉄道が開業したのが始まり。

中央本線の誘致に失敗した瀬戸の実業家ですが、明治6年、ウィーン万国博覧会に瀬戸焼を出品して好評を博したことから、名古屋港からの瀬戸焼の輸出が増加。

海外から受注した製品を名古屋港まで搬出する方法、そして資材の搬入に鉄道の敷設は不可欠だったのです。

往時は瀬戸街道を馬の背に載せて運んでいましたが、文明開化とともに近代化の波が押し寄せ、瀬戸と大曽根、名古屋の中心部を結ぶ鉄道の敷設が計画されたのです。

当初はセルポレー式蒸気動車を使っていましたが、電気動力に転換し、瀬戸電気鉄道に社名も変更(略して瀬戸電)。

さらに名古屋都心部への乗り入れを図って名古屋城の外堀に線路を敷設するという荒技に打って出たのです。

瀬戸電の終点が堀川駅だったのは、堀川で貨車から船に荷を積み替えて、名古屋港へと運んだから。

名古屋にも瀬戸物の問屋街が生まれ、世界的に有名になった瀬戸物、そして瀬戸電が名古屋と瀬戸の繁栄を支えたのです。

大津町駅跡
名称 大津町駅跡/おおつまちえきあと
所在地 愛知県名古屋市中区三の丸2-7
電車・バスで 名古屋市営地下鉄名古屋城駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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