愛知県豊田市市場町、「小原和紙のふるさと小原和紙美術館」の南にある中世の城館跡が、市場城(いちばじょう)。標高380mの山上に築かれた山城で、室町時代から戦国時代にかけて、鈴木氏4代の居城跡。現存する遺構は、天正11年(1583年)、鈴木重愛(すずきしげのり=鱸重愛)が改修した城郭です。
中世から近世への以降期に築かれた総石垣造りの山城
長禄3年(1459年)、三河鈴木氏(鈴木重善が祖)の鈴木親信(すずきちかのぶ)が足助の鈴木忠親から分家し小原を領有、市場古城(市場城の東側の尾根先、比高20m)を築城したのが始まり。
文亀2年(1502年)、市場古城から尾根の山頂へ移るかたちで市場城を築城しています。
麓との比高は80mほどですが、かつて小原にあった山城(11城が確認されています)のなかでは最大のもの。
鈴木長重、鈴木直重、そして鈴木重愛と鈴木氏4代の居城となりました。
天正9年(1581年)、「高天神を制する者は、遠江を制す」といわれた徳川家康の高天神城攻略で、鈴木重愛は首級138をあげるという大活躍をみせ、さらに武田勝頼の手中にあった串原城(現・岐阜県恵那市串原)を攻め立てる功績を挙げたため、賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)の起こった天正11年(1583年)、鈴木重愛は徳川家康から鱸(すずき)姓を賜り(以降は鱸重愛)加増されています。
その際に、市場城も近世的な石垣を積むなど城の大改修をしていますが、自身の武威を誇り、これが後に豊臣秀吉の怒りを買い、朝鮮出兵(文禄の役)時の文禄元年(1592年)、改易となって城も廃城となっています。
総石垣造りの城に改修したのは、天正3年(1575年)の長篠の戦いで鉄砲の威力を知ったことで、中世的な山城では防御機能が落ちることがわかっていたからです。
現在は城址公園として整備され、山頂の本郭の南東面の石垣と土塁、さらに石垣造りの外枡形門の北に畝状竪堀群(うねじょうからぼりぐん)が現存しているので、中世から近世の過渡期の山城を知ることができます。
畝状竪堀群は、竪堀と竪土塁を斜面に沿って連続して築くことで、敵軍の横移動や、集団行動を防ぐもので、愛知県内(三河国、尾張国)の城では、小渡城と市場城のみに構築されたもの。
総石垣造り、そして畝状竪堀群は中世末期の築城の最新技術の反映で、小原城見学にあたってのポイントにもなっています。
市場城の南西側、車道横に駐車場が整備され、山上へと遊歩道が通じています。
小原郷土館に詳しい展示があるので、あわせて見学を。
市場城 | |
名称 | 市場城/いちばじょう |
所在地 | 愛知県豊田市市場町 |
関連HP | 豊田市小原観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄豊田市駅からとよたおいでんバス小原・豊田線で小原大草下車、徒歩15分 |
ドライブで | 猿投グリーンロード猿投ICから約16km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 豊田市小原観光協会 TEL:0565-65-3808 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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