九十九島

江戸時代の俳人・松尾芭蕉が紀行文『奥の細道』に記した最北の地が、にかほ市象潟(きさかた)町の九十九島(くじゅうくしま)。かつて象潟周辺には、鳥海山の噴火による山体崩壊で日本海に流れ出た流山。のちにそれが入江となって、潟湖に大小の小島が浮かぶ九十九島と呼ばれる絶景が生まれました。

芭蕉が感嘆した景観は隆起して陸地に!

かつては秋田富士と呼ばれる鳥海山を借景に小島が浮かんでいた

往時の小島は鳥海山の山体崩壊で流出した「流れ山」

その景色を目の当たりにした芭蕉は「松島は笑うがごとく、象潟は撼(うら)むがごとし」と、自身の感動を伝えていますが、当時この象潟は、「東の松島 西の象潟」とまさに景勝地・松島にも並び称されるほどの存在だったというわけです。

江戸時代の紀行家・菅江真澄(すがえますみ)も1784(天明4)年、最上川を下り、酒田、吹浦を経て、象潟の島巡りを楽しんでいます。
「古城の跡を右手に中橋という川をたよりに小舟を出し」、帰りには「蚶満寺(かんまんじ)の西に舟を着けて」(ともに『秋田のかりね』)います。
蚶満寺は、芭蕉も訪れた名刹。

しかしその絶景も、1804(文化1)年の出羽大地震によって地面が2mも隆起し、陸地化。
一時はその景観が失われかけこともありましたが、現在は地元の保存活動が実って、水田地帯に102もの島々が小山として残る摩訶不思議な景観を保っています。

地元の保存運動のきっかけは、蚶満寺の24世・全栄覚林が、地震直後の陸地化で開田を行なう本荘藩の政策に断固として反対。
朝廷の権威(蚶満寺は閑院宮家の祈願所)を背景に、開発反対の運動を展開しました(本荘の獄で獄死)。

現在の象潟は、残念ながら当時とは比べるべくもありませんが、田んぼに水が入る時期には、いにしえの景観に近づくことができます。
現在、田園地帯に小山(海だった頃は小島)として残るのは、鳥海山の山頂から崩落した流れ山の跡。

「おくのほそ道の風景地象潟及び汐越三崎(大師崎)」として国の名勝に、「象潟」として国の天然記念物に指定されています。
国道7号沿いにある「道の駅象潟ねむの丘」にある展望塔が、ベストショットポイントです。

鳥海山の噴火、山体崩壊が生んだ絶景
鳥海山の地形をじっくり眺めると、山頂に北に開いた馬蹄形の凹みがあることに気が付きます。これが紀元前466年に起きた山体崩壊で誕生した東鳥海馬蹄形カルデラ。
この時の巨大な崩落は、大量の土砂を日本海まで運び、「象潟岩屑なだれ」と呼ばれています。
山頂部から運ばれた巨大岩塊の集まりが「流れ山」。
そして東西1km、南北2kmの象潟と呼ばれる潟湖を生んだのです。

九十九島 DATA

名称 九十九島/くじゅうくしま
所在地 秋田県にかほ市象潟町象潟島
関連HP http://www.nikaho-kanko.jp/
ドライブで 日本海東北自動車道本荘ICから約26.4km(37分)。または、酒田みなとICから約34.5km(41分)
駐車場 道の駅象潟ねむの丘(100台)/無料
問い合わせ にかほ市観光協会TEL:0184-43-6608/FAX:0184-43-6609
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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象潟温泉眺海の湯

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