本土の平地で「日本一早い初日の出」は、犬吠埼!
離島と山岳地帯を除いて日本一早い初日の出は、通常は納沙布岬。ところが地軸の傾きなどの原因で、冬季、年末年始に限っていえば、千葉県の先端、犬吠埼(銚子市)になるんです。まさに初日の出はチョウシがいい!
離島と山岳地帯を除いて日本一早い初日の出は、通常は納沙布岬。ところが地軸の傾きなどの原因で、冬季、年末年始に限っていえば、千葉県の先端、犬吠埼(銚子市)になるんです。まさに初日の出はチョウシがいい!
初日の出がダイヤモンド富士という日本広しといえども、超幸運の場所が、山梨県河口湖町の竜ヶ岳。今、巷(ちまた)で人気のダイヤモンド富士(富士山山頂からの日の出、日没)が、ちょうど元旦「初日の出」に眺められるという幸運中の幸…
「縁日」とは、寺社の参道に並ぶ露店のことではなく、神仏とご縁を結ぶ日。神仏が降誕・示現した、あるいは神格化された人物の没日などの縁(ゆかり)のある日を選んで「縁日」としています。毎月5日は水天宮の縁日ですが、年明け5日は…
縁日は、神仏との有縁(うえん)の日。つまりは祀られる神仏にゆかりのある日です。参道に並ぶ露店のことと誤解される場合もありますが、正しくは、縁のある日、そして縁を結ぶ日のこと。一説によれば「平生の1000倍のご利益がある」…
絶景1位〜5位を読んでいただいて、初日の出の条件が、どれだけ「手前が大事」かということがおわかりいただけたでしょう。続いて6位以下の発表です。近畿地区、四国地区、九州地区の代表もノミネート。定番だけじゃない、素敵な初日の…
全国各地の海岸や山上で、元旦は初日の出を拝む人、初日の出を撮る人が場所を探します。プレスマンユニオンは、「絶景」という視点で、全国からベストショットポイントを探しました。取材班が、ここぞとばかりに選んだ、まずは1位から5…
日本で最も早く初日の出を眺めることができるのは、南鳥島です。が、実際、南鳥島には立ち入ることができません。観光スポットとして、元旦に最も早い日の出は父島(小笠原)の夜明山。さすがに夜明山という名前のとおりです。では、本州…
エチオピア・アディスアベバで開かれた国連教育科学文化機関(UNESCO/ユネスコ)の政府間委員会(24ヶ国で構成)は、日本時間2016年12月1日未明、国の重要無形民俗文化財に指定されている全国33件の祭りで構成される「…
2024年11月26日(火)~2025年2月28日(金)、長崎バイオパークで『カピバラの露天風呂』。「カピバラ露天風呂」界の東の横綱が、昭和57年創始「元祖カピバラの露天風呂」の伊豆シャボテン動物公園なら、西の横綱は、平…
長大なサイクリングロードといえば、しまなみ海道が有名です。それに負けず劣らずという壮大なコースが、2016年11月25日に全通の「つくば霞ヶ浦りんりんロード」です。県道区間(桜川・潮来間)の長さ81kmは日本一のロングコ…
JR水戸線・岩瀬駅(茨城県桜川市)から土浦市内を経由して霞ヶ浦を周遊し、JR鹿島線・潮来駅(潮来市)までを結ぶサイクリングコースが「つくば霞ヶ浦りんりんロード」。その県道区間(桜川・潮来間81km)について、土浦市内の一…
千葉県野田市関宿にある千葉県立関宿城博物館では、平成28年度企画展『つながる 川と海と人~あそぶ・親しむ・守る~』を開催。「川と海へのかかわりをとおして、いかに川と海が人々にとって大切であるかを伝える展示です。ぜひご覧く…
愛知県では、昨年度に引き続き俳優・松平健氏をPRキャラクターに起用し、「モノスゴ愛知でマツケン(待つ県)」をキーワードに、平成28年10月3日(月)から「平成28年度 愛知県観光PRキャンペーン」を開始しています。「知ら…
沖縄県では『第6回世界のウチナーンチュ大会』が2016年10月27日(木)〜10月30日(日)に開催されます。それにあわせて、NHK沖縄と沖縄県では「世界に伝えたい沖縄のうた」を募集。視聴者の声をもとに、10月30日(日…
国土地理院では2020年に開催される東京オリンピックに向けて、「外国人にわかりやすい地図表現検討会」を立ち上げ、さらに「外国人にわかりやすい地図記号等に関するアンケート」を実施して、ユニバーサルなデザインの地図記号への大…
♨温泉マーク(地形図の温泉記号)はいつから使われているのでしょうか。実は、ドイツ発祥説を抑えて有力なのが、磯部温泉発祥の説。磯部温泉には発祥の地碑も設置されていますが、はたしてその根拠は一体何なのでしょうか…
プリミティブな自然と生態系が残される世界自然遺産の知床半島。その知床で、地元のNPOがせっせと漂着ゴミ(海ゴミ)を除去しているのをご存知だろうか? 2016年5月に知床半島南側の羅臼町(らうすちょう)で『知床岬海ごみフォ…
武田信玄の「隠し湯」は有名です。温泉を野戦病院として利用するの方法は、その子・武田勝頼にも受け継がれ、天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで徳川・織田連合軍に手痛い敗北を喫すると、すぐさま配下の真田昌幸(さなだまさゆき…