寛永寺根本中堂
西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の…
西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の…
明石海峡に臨む神戸市垂水区にある巨大な前方後円墳が五色塚古墳。墳丘長194m、前方部の高さ11.5m、後円部の高さ18mで兵庫県下最大の前方後円墳で、周囲に幅10mの堀を巡らせています。4世紀末〜5世紀初頭にかけて築造さ…
埼玉県川越市にある浄土宗の寺、蓮馨寺(れんけいじ)。天文18年(1549年)、北条氏康・氏政・氏直の3代に仕えた河越城主・大道寺政繁(だいどうじまさしげ)の母・蓮馨が開基で、江戸時代には浄土宗の関東十八檀林に数えられてい…
山口県防府市(ほうふし)松崎にある菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る古社が防府天満宮。社伝によれば、讒言(ざんげん)で失脚した菅原道真は、九州・大宰府(だざいふ)に左遷される途中、防府に立ち寄り、死後、魂となって帰って…
社伝(『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』)によれば、平安時代後期の長治元年(1104年)の創建と伝わる鎌倉の古社、荏柄天神社。学問の神様、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神にし、治承4年(1180年)、鎌倉大蔵に鎌倉幕府を…
延喜元年(901年)、藤原時平らの陰謀によって右大臣から大宰府(だざいふ)の権帥(ごんのそち)に左遷させられた菅原道真は、延喜3年(903年)年2月25日、大宰府の南館(現・榎社)で没しています。その墓所に建てられたのが…
大阪市北区天神橋に鎮座する学業成就、合格祈願で名高い神社が大阪天満宮。白雉元年(650年)、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した際、都の西北(成玄)を守るため大将軍社を建立したのが始まり。天暦3年(949年)に村上天皇の勅…
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
愛知県西尾市にある「西尾の抹茶」のルーツとなる寺。西条領主・吉良氏の菩提寺として3代・吉良満氏(きらみつうじ)が文永8年(1271年)に建立した寺。東福寺の聖一国師(円爾=えんに)を迎え開山式を行ない、宋(中国)・経山寺…
東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺、豊川稲荷東京別院。愛知県豊川市にある有名な豊川稲荷の東京別院です。豊川稲荷は神社ではなく、豊川稲荷妙厳寺という寺で、東京別院はその唯一の直轄寺院。もともと時代劇の『大岡越前』で知られる大…
東京都港区元麻布1丁目にある浄土真宗本願寺派の寺、麻布山善福寺。背後は高台となった元麻布の高級住宅街、大使館街。寺伝によれば天長元年(824年)に空海(弘法大師)創建といい、都内では、浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。越後国国府…
天平11年(739年)、行基(ぎょうき)開基と伝わる美濃国(みののくに)の一の宮が南宮大社。平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも美濃国内唯一の名神大社として記載され、仲山金山彦神社と称したとあり、古くは製鉄など金属精錬の神…
元和元年(1615年)に「寛永の三筆」の一人で陶芸家でもある本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえ…
臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第五位が浄妙寺。正式名は稲荷山浄妙廣利禅寺。文治4年(1188年)、源頼朝の忠臣として知られる足利義兼(あしかがよしかね)が栄西門下の退耕行勇(た…
高幡山金剛寺(高幡不動尊)、雨降山大山寺(大山不動尊)と並び、関東三大不動に数えられるのが成田山新勝寺。真言宗智山派の大本山で、開山は天慶3年(940年)。新皇を名乗り反乱軍を起こした平将門(たいらのまさかど)の乱を平定…
大山ケーブルの中間駅「大山寺駅」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺と並んで関東三大不動のひとつに数えられる真言宗大覚寺派の大本山。天平勝宝7年(755年)開山の古刹で、神仏習合時代から真言…
真言宗智山派別格本山、成田山新勝寺、雨降山大山寺(大山不動尊)と並び関東三大不動のひとつで、正式名は高幡山明王院金剛寺。一説には、奈良時代、僧・行基による開基とも伝わりますが、寺伝では清和天皇の勅願により平安時代初期、円…
標高200mの武山の山頂の一角にある武山不動。浄土宗の寺で、正式名称は龍塚山(りゅうちょうざん)不動院持経寺。江戸時代には浦賀水道を通る船の目印にもなり、地元の漁師はこの山がどこに見えるかで漁場の位置を確認したことから「…