国友鉄砲の里資料館
鉄砲が伝来したといわれる年の翌年、天文13年(1544年)にはすでに国産鉄砲の生産に着手していたという近江国坂田郡国友村(現在の滋賀県長浜市国友町)。戦国時代、信長、秀吉、家康の天下取りを支え、堺と競った鉄砲生産の歴史を…
鉄砲が伝来したといわれる年の翌年、天文13年(1544年)にはすでに国産鉄砲の生産に着手していたという近江国坂田郡国友村(現在の滋賀県長浜市国友町)。戦国時代、信長、秀吉、家康の天下取りを支え、堺と競った鉄砲生産の歴史を…
全国に散らばる1300余りの浅間神社の総本宮で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の中核的な存在。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと=浅間大神)。富士山自体がご神体で、山頂に奥宮が…
世界遺産「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の富士山本宮浅間大社。徳川家康造営の社殿が残されていますが楼門もそのひとつ。2階建て入母屋造り(いりもやづくり)で、正面と両脇に扉が付いています。さらに楼門の左右には慶…
世界遺産「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産になっている、富士山信仰の中心、富士山本宮浅間大社。本殿へと続く拝殿・幣殿は、本殿同様に駿府隠居の前年の慶長9年(1604年)、徳川家康が造営したもの。本殿と拝殿をつな…
慶長9年(1604年)、徳川家康が関ヶ原合戦の戦勝のお礼、徳川幕府の安泰を祈願して造営した社殿のひとつが本殿。「浅間造り」(せんげんづくり)という浅間大社独自の造りで、2階建ての楼閣造りになっています。1階は5間4面葺卸…
伊勢路と美濃路が合流し、京と尾張を結ぶ交通の要衝に位置した甚目寺(じもくじ/愛知県あま市)。寺伝によれば推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師・甚目龍麿(はだめたつまろ)が観音像を網で引き揚げ堂を建て安置したのが始まりと…
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするために肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)に築城の達人といわれた加藤清正などの諸将に築かせた城が名護屋城(なごやじょう)。松浦党・波多親(はたちかし)の家臣、名護屋経述(…
滋賀県長浜市南部を流れる姉川の野村橋一帯は、その川が血で染まったという激戦の地、姉川古戦場。織田信長の京・上洛途中にある小谷城の城主・浅井長政(あざいながまさ)は、織田家と盟友関係にありましたが、織田軍の朝倉攻めに際して…
徳川家康の命により、池田輝政が普請総奉行を務め、天下普請で築かれた篠山城。天下慶長14年(1609年)、篠山城築城と同時に完成したのが大書院です。籠城時に天守は不要という家康の考えから、天守も持たない実戦的な城でしたが、…
篠山盆地(兵庫県篠山市)の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城が、篠山城(ささやまじょう)。徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西国大…
平安時代編纂の『延喜式』神名帳に記載の古社(式内社)で上総国(かずさのくに)一之宮が玉前神社(たまさきじんじゃ)。千葉県長生郡一宮町の町名はもちろんこの神社に由来しています。祭神は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。安産…
創建は皇紀元年(紀元前660年)と伝えられ、香取神宮 (千葉県香取市)、息栖神社(いきすじんじゃ/茨城県神栖市)とともに東国三社のひとつが茨城県鹿嶋市の鹿島神宮。鹿嶋市の市の名ももちろんこの名社に由来し、鹿島神宮は常陸国…
大阪市天王寺区にある古社で、創建については定かでありませんが、天慶5年(942年)に菅原道真を合祀して天満宮となっています。菅原道真が大宰府に流されるとき、この地で、風待ちをしたという伝承があります。慶長20年(1615…
秋葉総本殿可睡斎、法多山尊永寺とともに遠州三山(えんしゅうさんざん)のひとつで目の霊山として有名なのが袋井市にある油山寺(ゆさんじ)。正式名は醫王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)。寺伝によれば大宝元年(7…
文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社(すさきじんじゃ=館山市洲崎)から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧請して祀り、品川大明神としたのが始まりという古社、品川…
織田信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が覇権を争って戦った小牧・長久手の戦いの主戦場・長久手古戦場仏ヶ根跡を公園として整備したのが長久手古戦場公園。長久手合戦では家康軍が勝利を収め、秀吉軍には多数の戦死者(両軍の死者は秀吉軍…
甲州市塩山にある臨済宗妙心寺派の古刹、恵林寺(えりんじ)。元徳2年(1330年)に、甲斐の守護職・二階堂貞藤(にかいどうさだふじ)が所領の牧荘を寄進し、夢窓疎石を招いて創建したと伝わっています。武田信玄の葬儀が行なわれた…
真宗大谷派の本山で東本願寺として知られているのが真宗本廟。宗祖・親鸞聖人の門弟らが遺骨を大谷(現・京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂を建てたことに始まります。現在の寺地は、慶長7年(1602年…