方広寺・奥山半僧坊
建徳2年(1371年)、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ/後醍醐天皇の皇子=円明大師)が開いた東海屈指の名刹。山号は深奥山(じんのうざん)。方広萬寿禅寺が正式な寺の名ですが方広寺・奥山半僧坊(地元では「半僧坊」)と通称…
建徳2年(1371年)、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ/後醍醐天皇の皇子=円明大師)が開いた東海屈指の名刹。山号は深奥山(じんのうざん)。方広萬寿禅寺が正式な寺の名ですが方広寺・奥山半僧坊(地元では「半僧坊」)と通称…
南禅寺の塔頭、金地院(こんちいん)の境内にある東照宮。国の重要文化財に指定される社殿は、京都唯一の権現造りで日光同様の鮮やかな彩色が施されています。金地院中興の祖である以心崇伝(いしんすうでん=金地院崇伝)は、上野の寛永…
慶長9年(1604年)に徳川家康が定めた五街道の起点が江戸・日本橋(東京都中央区)。日本橋川に初代の木造橋を架けたのも家康で、慶長8年3月3日(1603年4月14日)のこと。現在の日本橋(橋長49m、幅員27m)は明治4…
熱田神宮の境内、一の鳥居(南門)の西側に鎮座する別宮で、和銅元年(708年)、阿倍宿奈麿(あべのすくなまろ)、多治見真人池守を勅使として、新造の宝剣を納めて創建したという古社が別宮八剣宮。祭神は本宮と同じ熱田大神(あつた…
駿河国(するがのくに)の総社が静岡市にある静岡浅間神社。静岡駅から北へ2km、賎機山(しずはたやま)の南麓にあり、神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3つを総称…
静岡市清水区三保の三保松原入口に鎮座する古社、御穂神社(みほじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも記載の古社で、神社境内と参道(神の道)は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産にもなっています…
織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でし…
安土城の主郭部分の入口、黒鉄門跡へと通じる大手道の途中、前田利家邸跡を越えた右手が徳川家康邸跡。現在は摠見寺仮本堂となっています。織田信長が天正年間(1573年〜1592年)に甲賀から移したとされる寺です。
元和元年(1615年)に「寛永の三筆」の一人で陶芸家でもある本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から拝領した地に草庵を結び、法華題目堂を建てたのが起こり。光悦はこの地に一族と移り住み、工匠を集めて「芸術の里」ともいえ…
東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「…
徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。遺言で、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、…
元和2年12月(1617年1月)、久能山に創建された東照社(久能山東照社)。徳川家康の遺言で、久能山に埋葬され、東照大権現の神号が贈られた家康。久能山東照宮の拝殿・石の間・本殿は、創建時のもので国宝に指定されています。寛…
元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没した徳川家康は、その遺言によってその夜のうちに久能山に遺体が移され、葬られています。一周忌を経て江戸城の真北に在る日光の東照社にも祀られていますが、久能山東照宮には実際…
日本平からロープウェイで5分の久能山駅から徒歩1分の久能山山頂に鎮座するのが久能山東照宮。1616(元和2)年4月17日、75歳の徳川家康が駿府城で没した際、その遺言により、山上にあった久能城を廃城にし、2代将軍・秀忠の…
1175(承安5)年に法然上人が吉水に設けた草庵に始まる浄土宗の総本山が知恩院。正式名は、華頂山知恩教院大谷寺。法然は自身が説いた学問や修業のない念仏仏教が信仰されるも、宗教追害にあい流刑の後、この地で入滅しています。没…
京、方広寺に鋳造された鐘に刻まれた銘文(方広寺鐘銘事件)から発展した豊臣勢力に対する厳しい処置。その後、大坂夏の陣が起こり、大坂城の堀が埋め立てられ、ついに慶長20年5月8日(1615年6月4日)、大坂夏の陣で、豊臣秀頼…
徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代将軍・徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成したのが二条城(元離宮二条城)。1867(慶応3)年に15代将軍・慶喜が大…
浄土真宗本願寺派の大本山が本願寺(西本願寺)。1272(文永9)年、親鸞の娘・覚信尼(かくしんに)が東山大谷に創建した大谷廟堂が起源。3世・覚如(かくにょ)の時代に大谷廟堂を寺院化して本願寺と称しました。戦国時代には寺地…