本多肥後守忠真の碑
上洛を狙う武田信玄に対して、織田信長と同盟を結び、遠州へと進出した徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。この戦で徳川家康は大敗を喫して、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、撤退する徳川軍の中で、最後尾となる殿(しんがり)を買…
上洛を狙う武田信玄に対して、織田信長と同盟を結び、遠州へと進出した徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。この戦で徳川家康は大敗を喫して、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、撤退する徳川軍の中で、最後尾となる殿(しんがり)を買…
明治19年、引間城跡に旧幕臣・井上延陵(井上八郎)が創建したのが元城町東照宮(浜松東照宮)。徳川家康立身出世の地に家康を祀る東照宮がないのはどうしたことかと考えた井上延陵は、引間城跡に東照宮を建立。境内には徳川家康は31…
徳川家康の第3子で、徳川第2代将軍(在職1605年~1623年)となった徳川秀忠(幼名・長丸)の産湯の井戸が浜松市街にある徳川秀忠公誕生の井戸。現在は遠州鉄道遠州病院駅前の交番裏手にありますが、本来の場所は50mほど西。…
引間城(曳馬城・引馬城=現在の浜松東照宮の地にあった中世の城)の女城主・お田鶴の方(亀姫君)は、三河を統一した松平家康(徳川家康)に攻め落とされますが、最後まで城を死守した女丈夫に感動した家康は、お田鶴の方(おたづのかた…
三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)、徳川家康は三方ヶ原の戦いから命からがら浜松城へと逃げ帰ります。城内にあった松の木陰で休み、鎧を脱いで松に掛けたことから鎧掛け松と呼ばれています。
三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
1586(天正14)年、豊臣秀吉により京都・東山に創建された天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立を志して造営したもの。1595(文禄4)年、大仏殿が完成し高さ6丈(18m)の廬舎那仏(るしゃなぶつ…
豊川稲荷の名前で知られていますが、正式名称は妙厳寺(みょうごんじ)という曹洞宗(禅宗)の寺。豊川稲荷は、1441(嘉吉元)年に東海義易(とうかいぎえき)禅師が妙厳寺を建立した際に、鎮守として豊川荼枳尼真天(とよかわだきに…
『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん喜多さんがキツネに化かされたという松並木が愛知県豊川市御油町にある御油の松並木。旧東海道・御油宿から赤坂宿の間は600mにわたって松の大木が立ち並んでいます。旧東海道の中で唯一、国の天然…
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂浪士・四十七士の討ち入り事件を伝える話「忠臣蔵」であまりにも有名な泉岳寺。代々赤穂藩浅野家の菩提寺として、境内には藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や夫人の墓の他、吉良上野介の首…
1639(寛永16)年、天海大僧正が3代将軍・徳川家光に要請し、世良田の長楽寺境内に日光東照宮奥社(元和年間に造営の多宝塔、唐門、拝殿)を移築して創建したのが世良田東照宮。本殿はその際に新築され、徳川家康(東照大権現)を…
1616(元和2)年に没した徳川家康の法要は、久能山から日光山輪王寺に改葬される際の1617(元和3)年3月23日〜26日に川越の喜多院で執り行なわれています。その際に、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜されていますが…
JR東海道本線・関ヶ原駅にほど近い場所にあるのが関ヶ原古戦場・東首塚。関ヶ原駅西側の跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を北側に渡ると、左手にスダジイの大木茂る広葉樹の森があり、そこが東首塚。諸将の首を東西2ヶ所に埋葬した…
西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰…
東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷…
関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行…