【年表で知る】『豊臣兄弟!』豊臣秀長の生涯

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で一躍話題の武将となった豊臣秀長。豊臣秀吉の弟で、兄弟の天下取りを描くドラマですが、織田信長は秀長も高く評価していたように、兄弟ともに智将といえる存在でした。築城の名手・藤堂高虎は、豊臣秀長に仕官し頭角を表していることもお忘れなく。

【年表】豊臣秀長の生涯

和暦西暦内容場所
天文9年
3月2日
1540年
4月8日
秀吉(木下藤吉郎)の異父弟として生誕
幼名:小一郎
尾張国中村
名古屋市中村区中村
天文23年頃1554年頃兄・秀吉、那古野城主・織田信長に出仕那古野城
名古屋市中区
弘治元年1555年信長・居城を清洲城に移す清洲城
愛知県清須市
弘治2年頃1556年頃清洲城主・織田信長に出仕
木下小一郎長秀
清洲城
愛知県清須市
永禄10年1567年織田信長の美濃・稲葉山城攻略
岐阜城と改め、天下布武を旗印に
岐阜城
岐阜県岐阜市
永禄11年1568年織田信長上洛
秀吉も帯同、長秀(秀長)も?

京都市
天正元年1573年兄・秀吉、木下を羽柴に
近江国・長浜城主になる
木下長秀(秀長)が名が初登場
木下長秀、長浜城代を務める
長浜城
滋賀県長浜市
天正2年1574年秀吉の代理で第三次長島侵攻に参戦
信長とともに早尾口に陣取る
(信長が大動員令を出し一揆を鎮圧)
信長の兄・信広、弟・秀成戦死
伊勢国長島
三重県桑名市
天正3年1575年羽柴秀吉から羽柴の名字を与えられる長浜城
滋賀県長浜市
天正4年1576年藤堂高虎が秀長に300石で仕官長浜城
滋賀県長浜市
天正5年1577年秀吉が信長・中国攻めの総指揮官に
秀長は山陰道・但馬国平定を担当
秀吉陣営の実質トップに立つ
竹田城が攻略されると城代に就任
但馬国・竹田城
兵庫県朝来市
天正6年1578年但馬国で別所長治が反旗を翻す
兄弟で但馬国平定に尽力
黒井城攻めに明智光秀援軍として参戦
但馬国・黒井城
兵庫県丹波市
天正7年〜
天正8年
1579年〜
1580年
羽柴秀吉が行った播州征伐・
三木合戦に参戦
三木の干殺しと呼ばれる兵糧攻め
秀長、丹生山を襲撃し補給路を断つ
播磨国・三木城
兵庫県三木市
天正8年1580年羽柴秀吉が但馬国平定
但馬国7郡10万5000石と播磨国2郡領有
有子山城に入城
秀長の本拠は竹田城だったと推測
但馬国・有子山城
兵庫県豊岡市
但馬国・竹田城
兵庫県朝来市
天正9年1581年
鳥取城攻略戦(包囲戦)に参戦
吉川経家の切腹により終戦

領国の但馬で小代一揆発生
藤堂高虎が鎮圧
因幡国・鳥取城
鳥取県鳥取市

但馬国小代
兵庫県美方郡香美町
天正10年1582年秀吉、備中高松城を水攻めに
秀長も参戦
備中国・高松城
岡山県岡山市北区
天正10年
6月2日
1582年
6月21日
本能寺の変
織田信長、明智光秀に討たれる
京・本能寺
京都市
天正10年
6月6日頃
〜6月13日
1582年
6月25日頃
〜7月2日
秀吉・中国の大返しを開始
姫路、尼崎などを経て京へと向かう
秀吉軍、山崎の戦いで明智光秀を討つ
秀長は秀吉本隊で天王山の守備に従軍
備中国・高松城
岡山県岡山市北区

山崎合戦の地
京都府乙訓郡大山崎町
天正11年1583年秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦いに参戦
木之本本陣を守備

美濃守となり、但馬・播磨2国を領有
竹田城、姫路城を居城に(家臣が城主に)
近江国木之本
滋賀県長浜市木之本町
天正12年1584年秀吉と家康との小牧長久手の戦いに参戦
秀長、家康側の織田信雄領・伊勢へ進軍
松ヶ島城を攻略
秀長は織田信雄との和平交渉を担当
織田信雄が単独で和平に応じ、終戦

この頃、羽柴長秀を改め
羽柴秀長を名乗るように
伊勢国・松ヶ島城
三重県松阪市
天正13年1585年紀州征伐で、秀吉軍の副将に
太田城攻めに参戦
紀伊・和泉などの64万石を領有
藤堂高虎に命じて和歌山城築城
若山を和歌山に改称

四国攻めでは病気の秀吉に代わり総大将
秀長も阿波国へ進軍

大和国・和泉国・紀伊国3国を領有
100万石の大大名に
大和郡山城に入城、城下町を整備

豊臣を名乗るように(豊臣秀長)
紀伊国・太田城
紀伊国・和歌山城
和歌山県和歌山市

大和国・郡山城
奈良県郡山市
天正14年
2月8日
1586年
3月27日
病気となったことで有馬温泉で湯治
大坂の秀長邸から数度湯治に出立
摂津国・有馬湯山
天正14年
10月26日
1586年
12月6日
徳川家康大坂に入り、秀長邸に宿泊
秀吉が秀長邸を訪問、家康に面会
家康に臣下となることを要求
大坂城西の丸
秀長邸
大阪市中央区
天正15年1587年九州平定、日向方面の総大将として出陣
島津家久と豊臣秀長が講和し、終戦
日向国・高城
宮崎県児湯郡木城町
天正17年
1月1日
1589年
2月15日
大坂城で秀吉に新年祝賀の挨拶
(記録に残る最後の登城)
大坂城
大阪市中央区
天正17年
3月
1589年
4月
側室茶々の産所、淀城の改修を担当
旧暦5月に秀吉の嫡男・鶴松誕生
淀城
京都市伏見区
天正18年1590年正月頃から病状が悪化
北条討伐・小田原攻めにも不参加
春から郡山城で静養、夏に京に戻る
秋に郡山城に移り、秀吉の見舞いを受ける
大和国・郡山城
奈良県郡山市
天正19年
1月22日
1591年
2月15日
郡山城内で没
享年52
甥・秀保が家督を継承
郡山城の金銀の備蓄が確認される
戒名:大光院殿前亜相春岳紹栄大居士
大和国・郡山城
奈良県郡山市
文禄4年
4月16日
1595年
5月24日
秀保が17歳で急死、大和豊臣家が断絶
秀吉はその死を悼む姿勢を見せず
秀次排除の契機となった説も
大和国・郡山城
奈良県郡山市
【年表で知る】『豊臣兄弟!』豊臣秀長の生涯
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