駿河の田中城には、「信玄、信長、秀吉、家康」が逗留!
静岡県藤枝市にある田中城は、国内には例の少ない円郭式城郭。徳川家康が鯛の天ぷらを食し、死につながったという城です。田中藩という藩名も聞き慣れなければ、田中城という城の存在も知られていませんが、織田信長、豊臣秀吉も逗留。そ…
静岡県藤枝市にある田中城は、国内には例の少ない円郭式城郭。徳川家康が鯛の天ぷらを食し、死につながったという城です。田中藩という藩名も聞き慣れなければ、田中城という城の存在も知られていませんが、織田信長、豊臣秀吉も逗留。そ…
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の…
戦国武将の人気投票をするとダントツでトップとなるのが織田信長。ところが、戦国時代に信長が震え上がらせたのは比叡山の僧侶や、一向一揆に立ち上がった農民、土豪だけではありません。猫好きも恐れおののく事件が多発。戦国時代の猫好…
2024年5月11日(土)〜10月15日(火)、岐阜県岐阜市の『ぎふ長良川鵜飼』が開催。国の重要無形民俗文化財にも指定される鵜飼。鵜飼休み(9月17日)と増水時などの中止日を除いて毎日行なわれます。観覧船乗り場にて鵜匠に…
愛知県犬山市犬山愛宕、名鉄・犬山駅の南西、「デニーズ犬山店」の向かいにある中世の城跡が、木ノ下城。室町時代の文明元年(1469年)、織田広近(おだひろちか)が美濃の斎藤氏に備えるため築城したもので、南北200m、東西20…
その真相が今も謎に包まれ、戦国時代最大のミステリーともいわれる本能寺の変。少ない手勢で京に滞在中の織田信長が、家臣の明智光秀に本能寺で討たれる際に、発した言葉が、「是非に及ばず」だと伝えられています。用意周到な明智光秀の…
永禄3年(1560年)、那古野城(愛知県名古屋市、後の名古屋城)を目指し駿河・遠州・三河の4万5000余の大軍で西へと進軍する今川義元に対し、尾張を統一目指していた織田信長が挑んだ合戦が、桶狭間の戦い(おけはざまのたたか…
愛知県名古屋市中区、現在の名古屋城二之丸跡にあった中世の城が、那古野城(なごやじょう)。大永年間(1521年〜1528年)に今川氏親(今川義元の父)が築城した城ですが、織田信長が育ち、さらには徳川家康が駿府生活の前、人質…
愛知県新城市上平井、織田信長が長篠の戦いの折、最初の本陣としたのが、長篠設楽原古戦場・織田信長本陣跡(極楽寺跡)。設楽原に軍を進めた織田信長は、最初、この極楽寺山に本陣を構えています。極楽寺はそれ以前に焼失しており、後世…
愛知県犬山市、木曽川河岸の高台に建つ真言宗智山派の寺が、寂光院。継鹿尾観音(つがおかんのん)とも通称され、戦国時代には織田信長により、清州城の鬼門鎮護の寺となっています。新緑、紅葉も見事で、「尾張のもみじ寺」とも称されて…
大阪府堺市堺区にある日蓮宗の本山が妙国寺(廣普山妙國寺)。永禄5年(1562年)、摂津・河内・和泉3国を領有した三好実休(みよしじっきゅう)が京・頂妙寺の日晄(にっこう)に帰依、東西3丁・南北5丁の境内地と蘇鉄(そてつ)…
愛知県名古屋市中区、現在の真宗大谷派名古屋別院(東別院)境内にあった中世の城跡が古渡城(ふるわたりじょう)。天文3年(1534年)、織田信長の父・織田信秀(おだのぶひで)が三河を睨んで築城した城で、織田信長は、天文15年…
愛知県稲沢市と愛西市との境、日光川沿いにある中世の城跡が勝幡城(しょばたじょう)。織田信長の祖父・織田信定(おだのぶさだ)が尾張国の海西郡を手中に治めた永正年間(1504年~1521年)に築城された城で、近年の研究で、織…
愛知県名古屋市守山区竜泉寺にある天台宗の寺、龍泉寺。笠寺観音、荒子観音、甚目寺観音と並び名古屋城の鬼門を守る尾張四観音のひとつ。寺伝によれば延暦年間(782年~806年)、最澄(伝教大師)が創建したと伝わる古刹で、空海伝…
愛知県名古屋市中区にある臨済宗妙心寺派の寺、総見寺。本能寺で無念の死を遂げた織田信長の菩提寺で、慶長16年(1611年)の「清洲越し」(清洲から名古屋への城下町の大移転)で、現在地・大須に移っています。寺の名も織田信長が…
永禄3年5月19日(1560年6月12日)、織田信長が今川義元を討ったとされる桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)が行なわれた桶狭間古戦場は豊明市から名古屋市緑区にかけての一帯ですが、桶狭間の戦いの決戦の地というのは特定…
武田家滅亡の始まりともいえる長篠の戦い。愛知県新城市、新東名高速道路・長篠設楽原パーキングエリア近くの茶臼山(ちゃうすやま)にあるのが長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)の織田信長戦地本陣跡。織田信長は長…
現在の愛知県新城市を舞台にした長篠の合戦の激戦地、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)。武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇りましたが、織田・徳川連合軍は、設楽原中央を流れる連吾川の西岸に馬防柵を2kmに渡って築き…