前田土佐守家資料館
前田利家の次男、前田利政を祖とする前田土佐守家(まえだとさのかみけ)が代々所蔵していた資料約9000点を収蔵展示するのが前田土佐守家資料館。武具や利家の正室まつの直筆書状などが展示されています。土佐守家は加賀藩の重臣とし…
前田利家の次男、前田利政を祖とする前田土佐守家(まえだとさのかみけ)が代々所蔵していた資料約9000点を収蔵展示するのが前田土佐守家資料館。武具や利家の正室まつの直筆書状などが展示されています。土佐守家は加賀藩の重臣とし…
和歌浦に鎮座する玉津島神社。社伝では神功皇后(じんぐうこうごう)の紀伊進軍の際、玉津島神の加護を受けたことから分霊を勧請して創建したという古社。724(神亀元)年、聖武天皇の和歌浦行幸の際に、風光明媚な土地に創建を命じた…
福井市街地の西南に位置する、標高116.8mの足羽山(あすわやま)の自然を生かした公園。春には日本一の桜並木で有名な足羽川の堤とともに「日本さくら名所100選」に選定された3500本の桜が全山に、初夏には足羽神社近くの「…
北条早雲をはじめとする後北条氏が、5代96年におよぶ栄華を極めた小田原城。後北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、小田原高校の建つ八幡山に詰めの城を配しました。豊臣秀吉の小田原攻めに対抗するために周囲9kmにも及ぶ土塁…
永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)で、箱根十城のひとつ。東海道の三島神社から箱根へと上る途中に位置する中世の山城跡で、箱根山外輪山…
濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短…
中世に尾張国守護所があり尾張の中心地だった清須(清洲)。1555(弘治元)年に織田信長が那古野城(なごやじょう=名古屋城の前身)から入城し、この清須を拠点に尾張統一を果たし、天下布武への足がかりを築きました。今川義元を討…
織田信長は、1562(永禄5)年に徳川家康と清洲城(清須城)で清洲同盟を結ぶと、いよいよ濃尾平野の制覇、美濃攻略の拠点として1563(永禄6)年、濃尾平野を見渡す小牧山(こまきやま)に城を築いています。小牧山城の構造は、…
岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館…
笠寺観音の宿坊として創立し、本尊の不動明王は紀州熊野新宮の本尊であったものが伝来、厄除満願不動として信仰されています。豊臣秀吉より授かった天満宮(笠寺天満宮)の一堂もあり、お酒をお供えると顔面が赤くなるとの言い伝えから、…
姫路城、彦根城、松本城、松江城と並ぶ国宝の天守が犬山城。天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式。木之下城(現・愛知県犬山市犬山愛宕…
富山城は戦国時代に「冬の立山越え」で有名な佐々成政(さっさなりまさ)の居城だったもので、江戸時代には富山前田家の居城として、富山藩政の中心となった城。旧神通川と鼬川(いたちがわ)の合流する地の西、自然堤防の上に建っていま…
天下を取った豊臣秀吉が祭神の神社。明治12年、豊国神社の大阪別社として中之島(現、大阪市中央公会堂が建つ地)に創建。昭和36年に大阪城公園内(大坂城二の丸)に移築されました。出世開運の社として有名です。
大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や…
大阪の中央に位置する、総面積106.7haの広大な公園。都心にある緑溢れる公園は「大阪みどりの百選」にも選定されている。もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の…
静岡県内にある「日本百名城」(財団法人日本城郭協会が選定する100の名城)は、どこでしょう?駿府城、浜松城、掛川城、そして円形の縄張りが珍しい田中城と、静岡県内には名城がたくさんあります。正解は、駿府城(静岡市)掛川城(…
長浜市のマンホールの絵柄は、瓢箪(ひょうたん)のみです。 瓢箪は豊臣秀吉の馬印です。