日枝神社 (川越市)
830(天長7)年、円仁(慈覚大師)が無量寿寺(喜多院)を創建した際に、その鎮守として、860(貞観2)年に近江・坂本の山王権現(日吉山王社)を勧請して創建したという古社。天台宗・延暦寺の守護神として尊崇された山王権現を…
830(天長7)年、円仁(慈覚大師)が無量寿寺(喜多院)を創建した際に、その鎮守として、860(貞観2)年に近江・坂本の山王権現(日吉山王社)を勧請して創建したという古社。天台宗・延暦寺の守護神として尊崇された山王権現を…
長崎鼻の突端に建つ、薩摩長崎鼻灯台。建造は、昭和32年で風光明媚な地にふさわしいフォルムにと特別に設計されたデザイン灯台です。海面上21mの灯火からは、13.5海里(25km)先の海上まで照らし、錦江湾に出入りする船や、…
830(天長7)年、慈覚大師・円仁(えんにん)により創建された古刹が喜多院(川越大師)。1296(永仁4)年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、慈恵大師(元三大師)を祀って関東天台の中心的な存在となりました。さらに1599…
指宿市にある火口湖、鰻池(うなぎいけ)の東岸にあるひなびた湯治場が区営鰻温泉。明治7年、征韓論に敗れて下野した西郷隆盛が1ヶ月ほど湯治していたこともある歴史ある温泉は、このエリアには珍しい硫黄泉。宝暦年間(1750年頃)…
和船でのんびりと長瀞を観賞するのが秩父鉄道が運航する長瀞ライン下り(荒川ライン下り)。親鼻橋から岩畳まで下るAコース(3km)と、岩畳から高砂橋の少し先までを下るBコース(3km)、通しで乗るCコース(6km)の3コース…
佐賀市街の北にそびえる標高501.7mの金立山に鎮座するのが金立神社上宮。金立山は、秦の始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の薬求めて辿り着いた霊山との伝承があります。祭神は保食神(うけもちのかみ)、岡象売命(みずはめのみこ…
龍宮神社は、長崎鼻の高台に鎮座する神社で、浦島太郎伝説の地。龍宮城は海のかなたの琉球(沖縄)。周辺の海岸はウミガメの産卵地ということで浦島太郎伝説が生まれたと推測されます。祭神は『古事記』上巻、『山幸彦と海幸彦』に登場す…
桜島岳の4合目(標高373.8m)に位置し、南岳の噴火口に最も近い位置にある展望台が湯之平展望所。桜島では、立ち入ることができる最高所がこの湯之平展望所です。桜の花びらをイメージしたという展望施設が建っており、2階部分は…
神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓遠征(新羅遠征)に際して海路の安全を祈願し、凱旋時に捧げたと伝えられる宝鏡を発見し祀ったのが始まりと伝えられる古社が唐津神社。社殿の創建は1186(文治2)年。平安時代の唐津(松浦荘)は…
開聞岳を眺める山川の海岸に建つ温泉入浴施設がヘルシーランド露天風呂(たまて箱温泉)。某サイトの日帰り温泉部門で1位を獲得の絶景露天風呂が人気を集めています。隣接して「山川砂むし温泉」もあるので、絶景露天風呂と砂蒸し、さら…
行田市にある埼玉古墳群(さいたまこふんぐん)の一基で、前方後円墳の将軍山古墳の墳丘を利用して造られたガイダンス施設が将軍山古墳展示館。荒廃し崩落寸前だった墳丘部をドームで覆い、内部に1階に出土した埴輪(はにわ)や土層断面…
熊野市丸山地区にある棚田が丸山千枚田。白倉山(標高736m)の南西斜面、高低差100mの間に小さな棚田が1300枚以上もつくられ日本有数の規模を誇る棚田となっています。1601(慶長6)年の検地では丸山地区には、2200…
松山市浄瑠璃町にある真言宗醍醐派の古刹が八坂寺(四国八十八ヶ所霊場第47番札所)。修験道の祖・役小角(えんのおづぬ=役行者)により開かれ、701(大宝元)年、文武天皇の勅願により伊予の国司、越智玉興が創建したと伝わります…
松山市浄瑠璃町にある真言宗豊山派の古刹が浄瑠璃寺(四国八十八ヶ所霊場第46番札所)。四国八十八ヶ所霊場の寺が松山市内には8ヶ寺ありますが、その打ち始めの寺が浄瑠璃寺です。708(和銅元)年、行基が薬師如来を祀ったのが始ま…
久万高原町七鳥(ななとり)の標高550mの山中にに建つのが真言宗豊山派の岩屋寺(四国八十八ヶ所霊場第45番札所)。巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場ながら、山号は海岸山。815(弘仁6)年、空海…
久万高原町の中央部にある真言宗豊山派の古刹が大宝寺(大寶寺/四国八十八ヶ所霊場第44番札所)。四国霊場八十八ヶ所霊場巡りのちょうど中間に位置するため、「中札所」といわれています。標高490mの高原に建ち、老樹が生い茂る境…
欽明天皇(539年〜571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が西予市宇和町に建つ明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりま…
伊予松山藩2代藩主・蒲生忠知(がもうただとも)が築いた邸宅跡を庭園としたのが松山城二之丸史跡庭園。絵図を基に、邸宅の間取りと庭園を再現しています。松山城は、山上にあり、太平の世には不便であることから、伊予松山藩の政庁とし…