一心寺
文治元年(1185年)、四天王寺の別当・慈円に請われて法然が結んだ草庵が始まりという大阪市天王寺区の古刹が一心寺。慶長元年(1596年)、三河出身で徳川家康に見出され佐倉・清光寺に住持したという僧侶・本誉存牟(ほんよぞん…
文治元年(1185年)、四天王寺の別当・慈円に請われて法然が結んだ草庵が始まりという大阪市天王寺区の古刹が一心寺。慶長元年(1596年)、三河出身で徳川家康に見出され佐倉・清光寺に住持したという僧侶・本誉存牟(ほんよぞん…
葛城山(858m)の北麓、役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ、修験道の始祖)の開創と伝えられる古刹が大阪府岸和田市の牛滝山大威徳寺で、かつては48もの僧房をもつ葛城修験の一霊場として栄えました。古くから、紅葉…
5世紀頃、呉の国から渡来して機織りや染色の技術を日本に伝えたという呉服姫(くれはひめ=呉織媛/くれはとりのひめ)を祀る大阪府池田市の古社が呉服神社(くれはじんじゃ)。絹織物を呉服物というのは、呉服姫が伝えたからなのだとか…
近江富士で知られる三上山の西麓にある神社で、刀鍛冶の祖神でもある天之御影神(あまのみかげのみこと)を祀る古社が御上神社。天之御影神が三上山山頂の磐座(いわくら)に降臨したのを祀ったのが始まりと伝えられています。養老2年(…
滋賀県長浜市にある曹洞宗の寺、徳勝寺。前身は応永年間(1394年~1438年)東浅井郡上山田村(現・長浜市小谷上山田町)に建立の医王寺です。小谷城内に移り、浅井氏の菩提寺となり、浅井氏の滅亡で長浜城内に移り、江戸時代に長…
古代、藤原不比等(ふじわらのふひと)の別荘だった地に、鎌倉時代中期、関白・九条忠教(くじょうただのり)が安楽精舎(あんらくしょうじゃ/精舎=修行者の居所)を建立したのが始まりという臨済宗妙心寺派の古刹が滋賀県長浜市の安楽…
羽柴秀吉が長浜城主だった時に生まれた初の実子との伝承がある羽柴秀勝(石松丸)の菩提寺と伝わる、滋賀県長浜市にある寺が妙法寺。羽柴秀勝は文献にもほとんど登場せず、実在が疑問視されてきましたが平成14年、長浜市の調査で戦国時…
弘仁5年(814年)、空海の創建と伝わる滋賀県長浜市の古刹・新放生寺の塔頭(たっちゅう=子院)が舎那院(しゃないん)。明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは新放生寺が長浜八幡宮の別当寺を務めていました。廃仏毀釈で舎那院を除い…
延久元年(1069年)、源義家が後三条天皇の勅願を受け、京の石清水八幡宮から分霊を勧請して創建した古社が滋賀県長浜市の長浜八幡宮。天正2年(1574年)、長浜城主となった羽柴秀吉が社殿を修復。庭園も秀吉が寄進したものです…
滋賀県長浜市にある奈良時代に行基開山と伝わる真言宗豊山派の古刹が総持寺(そうじじ)。室町時代に実済が中興、後花園天皇の勅願寺となって惣持院の号を得ています。姉川の合戦で堂宇を焼失していますが、羽柴秀吉が120石の寺領を寄…
滋賀県長浜市にある大通寺は真宗大谷派(東本願寺)の別院で、正式名は無礙智山(むげちざん)大通寺。長浜市民には、長浜御坊、「御坊(ごぼう)さん」と親しまれてきた寺です。本堂(阿弥陀堂)は伏見城の遺構と伝えられ、国の重要文化…
新潟県長岡市の南郊外、前島町にある小さな社が前島神社ですが、ここも北越戊辰戦争の史跡。明治元年・慶応4年(1868年)5月2日、新政府軍と行なわれた「小千谷談判」で、長岡藩・河井継之助独自の中立構想は受け入れられず、交渉…
新潟県小千谷市平成、かつての寺町にある新義真言宗智山派の古刹が慈眼寺。山号は船岡山。歴史は古く、寺伝によれば、創建は白鳳時代にまで遡るとか。明治元年・慶応4年(1868年)の北越戊辰戦争では、慈眼寺で軍事総督・河井継之助…
「醸造のまち」として名高い新潟県長岡市摂田屋(せったや)地区。旧三国街道沿いの入口近くにある、赤い鳥居とお狐様が目印のパワースポットが竹駒稲荷です。もとは日本三大稲荷のひとつともいわれる(日本三大稲荷は諸説あり定かであり…
新潟県長岡市中心部から南に約4km、摂田屋地区にある寺が光福寺。北越戊辰戦争時の明治元年・慶応4年(1868年)4月26日、ここに長岡藩の本陣が置かれました。長岡藩の軍事総督を務めた河井継之助は、新政府軍側との交渉(小千…
新潟県長岡市、悠久山公園内に鎮座する蒼柴神社(あおしじんじゃ)の本殿南に位置するのが、旧長岡藩主牧野家霊廟(きゅうながおかはんしゅまきのけれいびょう)。昭和58年、悠久史蹟保存会の手によって、東京・三田にあった牧野家の菩…
新潟県長岡市千手2丁目にある曹洞宗の寺が興国寺で、正保3年(1646年)の開山。山号は太平山。境内には「米百俵」の逸話で知られる、長岡近代教育の父で、明治3年、長岡藩の支藩から送られた米を売り払い、「国漢学校」資金に代え…
新潟県長岡市街の東、悠久山公園内に鎮座するのが蒼柴神社(あおしじんじゃ)。もとは長岡城内に、「長岡藩中興の英主」とも称された、長岡藩3代藩主・牧野忠辰(まきのただとき)を祀ったのが始まり。蒼柴神社の名は忠辰の尊号、蒼柴大…