湊稲荷神社(願懸の高麗犬)
新潟県新潟市中央区稲荷町にある湊稲荷神社(みなといなりじんじゃ)。享保元年(1716年)創建の小さな社ですが、鎮守の森を入港の目印にした北前船の船乗りたちの信仰を集め、さらに花街の遊女や芸妓が狛犬(高麗犬)に願掛けするこ…
新潟県新潟市中央区稲荷町にある湊稲荷神社(みなといなりじんじゃ)。享保元年(1716年)創建の小さな社ですが、鎮守の森を入港の目印にした北前船の船乗りたちの信仰を集め、さらに花街の遊女や芸妓が狛犬(高麗犬)に願掛けするこ…
新潟県新潟市中央区の上大川前通12番町は、かつての大川前通横町で、石崎屋喜兵衛など、北前船の廻船問屋(大店)が建ち並んだ場所。江戸時代の中頃、信濃川(当時は大川と呼称)の左岸が、現在の上大川前通のあたりでした。そこに新潟…
山形県酒田市にある料亭「相馬屋」を再生したのが舞娘茶屋・雛蔵畫廊相馬樓(竹久夢二美術館)。北前船の交易で賑わった酒田には、お茶屋文化(料亭文化)も花開きましたが、その代表格が「相馬屋」。再生された建物では、「酒田舞娘」の…
秋田県にかほ市にある酒処・秋田県でも最古の歴史を誇る酒蔵が飛良泉本舗。室町時代の長享元年(1487年)創業で、日本でも3番目くらいに古い歴史を誇っています。酒造りは一貫して山廃仕込みで、仕込水には仁賀保家拝領の井戸に湧く…
江戸時代後期から第二次世界大戦後の農地改革まで日本一の大地主といわれた山形県酒田市の豪商、本間家。本間家に伝わる庄内藩(荘内藩)酒井家、米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品(融資を受けた見返りの品)を中心に、ゆかりの品々…
山形県酒田市、日本一の大地主といわれた酒田の豪商、本間家の邸宅が本間家旧本邸。本間家3代・本間光丘(ほんまみつおか)が幕府の巡見使一行を迎えるための宿舎として明和5年(1768年)に建築したもので、庄内藩主酒井家に献上し…
石川県加賀市橋立、北前船の船主集落として加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区に指定される加賀橋立。江戸時代から明治中期にかけて、日本海の舟運として活躍し、京・大坂と北陸を結んだ北前船の船主・酒谷家の屋敷と庭園が北前船主屋…
江戸時代から明治にかけて、蝦夷地と大坂を結んだ西廻り航路に活躍した北前船。その船主や船頭たちが集中して住んだ船主集落が石川県加賀市の橋立地区。最盛期には日本一といわれるほどに北前船で繁栄した船主や船乗りたちの住宅が軒を連…
石川県加賀市橋立町(加賀市加賀橋立伝統的建造物群保存地区)にある蝦夷地(北海道)と西国を結んで日本海を航海した北前船(きたまえぶね)の船主の邸宅を再生したミュージアムが北前船の里資料館。北前船の寄港で賑わった橋立港の北前…
福井県小浜市にある江戸時代に栄えたかつての花街が三丁町(さんちょうまち)。北前船の寄港地としての繁栄を背景に、茶屋町として賑わったエリアで、現在も紅殻格子の長屋にはお茶屋が残り、三丁(250m)にわたり風情ある町並みが続…
福井県坂井市三国町、北本町4丁目から三國神社へと続く北前船の寄港で栄えた旧市街の通りの愛称が三國湊きたまえ通り。NPO法人三国湊魅力づくりプロジェクトなどの公募で平成19年に愛称が付けられたもの。豪商の面影を今に伝える旧…
福井県坂井市、北前船で賑わった三国港(三国湊)に鎮座する神社が三國神社。大山咋命(おおやまくいのみこと=神仏習合時代には山王権現)と継体天皇を祀った神社で、地元では「お山王さん」と呼ばれ親しまれています。楼門は北前船の全…
福井県坂井市、北前船で賑わった三国港(三国湊)で材木商を営んだ、新保屋・岸名惣助(きしなそうすけ)が代々住んでいた町家が旧岸名家。旧岸名家がある下新町は、かつては廻船問屋が軒を並べ、隣接する元新町とともに三国湊の商業の中…
福井県坂井市、北前船(西廻り航路)の寄港地として繁栄した三国湊(三国港)の古刹、瀧谷寺(たきだんじ)。南北朝時代の永徳元年(1381年)、睿憲上人(えいけんしょうにん)が開山した寺で、性海寺とともに、越前における真言宗の…
福井県坂井市、北前船の寄港地として繁栄した三国湊(三国港)の有力問屋が軒を連ねた旧元新町にある洋風銀行建築が旧森田銀行本店。中世以来続く三国の豪商・森田家が廻船業に見切りをつけ、明治27年、いち早く銀行業などに転身をはか…
富山県富山市、神通川河口に位置する岩瀬は、北前船の重要な寄港地として繁栄した港町。加賀藩の御蔵が置かれ、廻船問屋が軒を並べた岩瀬は、北陸街道の宿場町としても発展しました。東岩瀬は、北前船全盛期の明治6年の大火で往時の町並…
北前船で繁栄した北海道江差町。天然の良港で、「江差の春は江戸にもない」というほど北前船の拠点として賑わったのは、港を守る鴎島(かもめじま)があったから。カモメが翼を広げたかたちをしている、海抜20m、周囲2.6kmの小島…
最上川舟運の河湊が置かれた山形県大石田町。最上川の河岸(かし=川湊)として本格的に機能を果たすようになるのは近世から。幕府の天領米(村上地方は北日本最大の天領でした)、紅花などの輸送拡大に伴って、寛政4年(1792年)、…