紀貫之邸跡・古今集の庭
律令制時代の国司が政務を執る国庁が置かれたのが国府です。土佐国府は、南国市立国府小学校の南東200mほどの所にあるのが古代の土佐国の国衙(こくが=国司が地方政治を遂行した役所)の跡と推測されています。国司の館跡の遺構は発…
律令制時代の国司が政務を執る国庁が置かれたのが国府です。土佐国府は、南国市立国府小学校の南東200mほどの所にあるのが古代の土佐国の国衙(こくが=国司が地方政治を遂行した役所)の跡と推測されています。国司の館跡の遺構は発…
南国市比江土居屋敷にある古代寺院の塔跡が比江廃寺塔跡。塔の心礎だけしか現存しておらず、寺の名前も定かでないため「比江廃寺塔跡」という通称で呼ばれています。白鳳時代に古瓦も出土し、伽藍配置も法隆寺式であることから高知県では…
都佐国造(とさのくにつくりのみやっこ)の領域(土佐国東部)と波多国造(はたのくにつくりのみやっこ)の領域(土佐国西部)を合わせてつくられた古代の土佐国。国府は長岡郡にあり、南国市比江で国司が地方政治を行なった役所である国…
京都には平安京以前に、恭仁京(くにきょう)、長岡京が置かれていますが、最初に配されたのが聖武天皇時代の恭仁京です。現在の木津川市加茂で、大極殿の跡地など一帯は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」として国の史跡となっています。恭仁…
明日香村にある文武天皇陵(もんむてんのうりょう)は、天武天皇と、持統天皇の孫である文武天皇の陵墓と推定される場所で、国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区の南端に位置しています。『続日本紀』に火葬されてこの陵に葬られたと記された…
欽明天皇の孫で、天智天皇・天武天皇の祖母にあたるのが吉備姫王(きびひめのみこ/きびひめのおおきみ)。7世紀前半の王女で、桜井皇子(欽明天皇の第六皇子)の娘。茅渟王(ちぬのおおきみ)の后で宝皇女(皇極天皇・斉明天皇)・軽王…
明日香村の吉備姫王(きびひめのおおきみ)の檜隅墓内に4体ある不思議な人面石像。1702(元禄2)年、欽明天皇陵南側、平田村池田の田から見つかり、天皇陵に置かれましたが、明治5年に吉備姫王墓内に移されています。外見から「女…
雪隠(せっちん)とはトイレのこと。明日香村平田地区にある不思議な巨石が鬼の雪隠と呼ばれていますが、遊歩道を挟んだ反対側の鬼の俎(まないた)とセットになっており、鬼が付近を通る旅人を俎の上で料理し、雪隠(トイレ)で用を足し…
明日香村の丘の上にある花崗岩の謎の石造物が酒船石。長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mほどの巨岩ですが、岩の上の平な面に皿状の凹みと凹みを結ぶ溝があるため、酒造に用いられた、あるいは薬作りの石とも推測されていますが、誰が、…
645(皇極天皇4)年に起こった古代の日本を揺るがしたクーデター、乙巳の変(いっしのへん=大化改新につながる蘇我氏の暗殺計画)の時、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で殺害された蘇我入鹿(そがのいるか)の首が飛んできたと…
明日香村川原地区の田んぼの中に鎮座する重さ推定40tという巨大な花崗岩を、自然の岩肌を残したまま利用した石造物が亀石。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から亀石と呼ばれていますが、いつごろ、何の目的で造られたの…
京都市山科区にある御廟野古墳(ごびょうのこふん)は、7世紀末~8世紀、つまりは古墳時代終末期の古墳。形状は、八角形が天下八方の支配者にふさわしいという道教の影響を受けた正八角形の八角墳で、第38代天智天皇の陵墓だと宮内庁…
唐招提寺舎利殿(鼓楼)の東に建つ2つの校倉は北側が宝蔵、南側が経蔵でともに天平時代に建てられたものが現存し、国宝に指定されています。とくに経蔵は、唐招提寺創建以前、新田部親王(にいたべしんのう)の邸宅だった頃の遺構(米倉…
唐の高僧・鑑真和上が聖武天皇に招かれ、難行苦行の末にようやく来日、東大寺で多くの高僧に受戒していますが、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)旧邸跡に唐招提寺を創建。講堂は平城宮朝堂院の東朝集殿(ひがしち…
708年(和銅元)年、元明天皇により遷都の詔が出され、710(和銅3)年3月10日に遷都された「奈良の都」が平城京。唐に倣った古代の都は、南北に長い長方形で、中央の朱雀大路を軸として右京と左京に分かれ、朱雀大路の南端に置…
710(和銅3)年、元明天皇により飛鳥藤原京から奈良に遷都された平城京。道路を碁盤の目のように整備して大極殿、内裏、朝堂院が並び、その中央北端にあった平城宮の宮城である平城宮は南北約1km、東西約1.3kmの規模。内裏や…
昭和42年に平城宮東張出し部の南東隅に発見された庭園跡。『続日本紀』に記される平城宮の「東院」にあたることから東院庭園と名付けられました。発掘調査の結果、東西80m×南北100mの敷地のなかに洲浜敷の池が設けられ、その周…
奈良時代の日本の首都、平城京。日本の古代の都は、唐の条坊制を模範に造営されているため、平城京の中央北辺に朝廷の正殿となる大極殿(だいごくでん)などのある平城宮(内裏)を配置しました。平城京の南端中央にある羅城門(平城京正…