日光東照宮・三神庫(下神庫・中神庫・上神庫)
日光東照宮で有料エリアとなる表門をくぐった先、最初に見るのが三神庫。門を入った右手に下神庫(しもじんこ)、正面に中神庫(なかじんこ)、左手に上神庫(かみじんこ)が独立して建てられています。神庫とは祭礼に使う祭具を入れる倉…
日光東照宮で有料エリアとなる表門をくぐった先、最初に見るのが三神庫。門を入った右手に下神庫(しもじんこ)、正面に中神庫(なかじんこ)、左手に上神庫(かみじんこ)が独立して建てられています。神庫とは祭礼に使う祭具を入れる倉…
日光東照宮の参拝で、陽明門をくぐると、いよいよ御本社(拝殿・石の間・本殿)ですが、その入口に建つのが国宝の唐門(からもん)。間口3m、奥行き2mと陽明門に比べると小さく感じられますが、東照宮でもっとも重要な御本社の正門で…
日光東照宮参拝のハイライトの一つが国宝の陽明門。極彩色彫刻で覆われ、一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」とも称されていますが、平成の大修理を終えて絢爛豪華な輝きが蘇っています。他の社殿と同様、3代将軍・徳川…
日光東照宮の有料エリアの入口、表門を入ったすぐ左手にあるのが神厩舎。神馬(しんめ)をつなぐ厩(うまや)で、古来、猿は、馬の病を治したり、 馬の世話をするなどされているところから、長押(なげし)上には猿の彫刻8面が描かれ、…
様々なジャンルの「日本三大」がありますが、そのなかでももっとも諸説あり、紹介するのが悩ましいのがこの日本三大名城(日本三名城)です。戦国時代までの中世の城郭、江戸時代以降の近世城郭という時代背景、規模の大きさで選ぶのか、…
京都府宇治市にある黄檗宗大本山、黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。その本堂となるのが大雄寶殿(だいおうほうでん)で萬福寺最大の堂宇。寛文8年(1668年)の築で国宝に指定されています。ここで上げられるお経は、今も中…
京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。江戸時代初期に明から来日した黄檗宗の開祖・隠元がもたらした中国風の伽藍が、禅宗らしい凛とした空気の中にも優美な雰囲気を醸し出していますが、その玄関ともいえるのが天…
神奈川県横浜市の山手地区の高台、横浜港を眺める港の見える丘公園の北側がフランス山地区。幕末の横浜開港直後、生麦事件をはじめとする外国人殺傷事件を背景に、自国民保護のためにフランス軍が駐留、フランス山と呼ばれるように。明治…
神奈川県横浜市にある神奈川県庁の南側・日本大通り沿いに立っているのが神奈川運上所跡の碑。安政5年(1858年)、江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダそれぞれと結んだ修好通商条約(安政五カ国条約)により…
大阪府高槻市の高層住宅に囲まれた一画に再現された古代の埴輪工場跡と窯跡群が史跡新池ハニワ工場公園。新池東側の丘陵に位置する最古最大級の埴輪工場跡が公園として整備され、工房と窯が復元されています。焼成した埴輪は、太田茶臼山…
考古学的には530年に没した継体天皇の陵墓と推測され、淀川流域で最大規模の前方後円墳である今城塚古墳に隣接する地に建つ高槻市立の古代史のミュージアムが今城塚古代歴史館。今城塚古墳を中心とした三島古墳群の概要を解説し、今城…
大阪府茨木市にある墳丘長226m(全国第21位の巨大古墳)という巨大な前方後円墳が太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん)。宮内庁は第26代継体天皇の陵墓・三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)に治定(じじょう)してい…
東京湾に突き出した富津岬。先端にある明治百年記念展望塔は有名ですが、陰に隠れて訪れる人が少ない穴場の展望台が中の島展望台です。穴場ファンならぜひ一度、上がりたい場所!
大阪府高槻市にある古墳時代後期の6世紀前半に築造された前方後円墳が今城塚古墳(いましろづかこふん)。墳丘長190mと6世紀前半の前方後円墳としては最大級の古墳で、国の史跡になっています。一帯は今城塚古墳公園として、家、人…
明治11年、初代の山形県令・三島通庸(みしまみちつね)の命により建設された擬洋風建築が旧西田川郡役所。廃藩置県後の明治9年に置賜、山形、鶴岡の3県が統合して山形県が誕生。明治11年に郡制が施行され、山形県内に11の郡が生…
明治17年11月、初代の山形県令・三島通庸(みしまみちつね)の命により馬場町に完成したのが鶴岡警察署庁舎。昭和32年に酒井家が無償で提供した現在の地に移され、現在は、財団法人致道博物館の事務所棟として使用されています。明…
山形県鶴岡市の鶴岡公園にあるレトロな洋館が大宝館(大寶館)。大正4年、大正天皇の即位を記念して建てられた擬洋風建築で開館当初は物産陳列場、戦後は市立図書館として利用され、現在は、明治の文豪・高山樗牛(たかやま ちょぎゅう…
大分県玖珠町(くすまち)の角埋山(つのむれやま)にあった中世の山城跡で国の史跡にもなっているのが定かではないが角牟礼城跡(つのむれじょうせき)。鎌倉時代の弘安年間(1278年〜1288年)に森朝通によって築かれと伝えられ…