旧集成館反射炉跡
日本初の近代的な工場群である「集成館」を仙巌園内に設けた薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)ですが、藩の富国強兵、そして外国船への備えから嘉永4年(1851年)、オランダの技術書の翻訳書を参考に西欧の鋳造技術を導入し、…
日本初の近代的な工場群である「集成館」を仙巌園内に設けた薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)ですが、藩の富国強兵、そして外国船への備えから嘉永4年(1851年)、オランダの技術書の翻訳書を参考に西欧の鋳造技術を導入し、…
那珂湊反射炉は、沿岸防備の強化を図るため幕末に西洋式大砲を鋳造を目的に、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき)により築造された炉。江戸湾防備の品川台場に設置された大砲もここで鋳造されたものがあります。ひたちなか市…
京都府福知山市にある福知山城は、江戸時代には福知山藩の藩庁だった場所で、「続日本100名城」に選定。天正8年(1580年)頃、在地豪族・横山氏の砦であった横山城を、丹波平定を行なった戦国武将・明智光秀が改修し、福智山城と…
岐阜県の伊勢湾近くの輪中地帯(集落を堤防でぐるりと囲んだ地域)に位置する海津市役所近く、城郭のような特異のフォルムで異彩を放つのが海津市歴史民俗資料館。それもそのはずで、藩政時代にこの地にあった(実際は資料館の1kmほど…
木曽三川の治水事業でも知られるオランダ人土木技師のヨハネス・デ・レーケの提案で、明治の半ばに国際貿易港を目指し、土木請負師の服部長七が四日市港に造った防波堤。波が堤防に当ると、大堤にある49個の五角形の水抜き穴から海水が…
四日市港の近代化のために昭和6年に完成した長さ58m、幅4mの跳開式可動鉄道橋梁で、今も現役。門のようなスタイルの鉄柱からのケーブルで橋の中央部が引っ張られて持ち上がる仕組み。鉄道橋で、橋梁上には、四日市港線(現在は四日…
中山道・木曽路の景勝、寝覚の床(ねざめのとこ/長野県上松町)は、花崗岩の柱状節理でできた奇岩がそそり立ち、木曽川の澄んだ水が流れる国の名勝。浦島太郎が放浪の末、この岩の上で昼寝をし、玉手箱のことを思い出して目を覚ましたと…
羽黒山(出羽神社)の五重塔は、平安時代に平将門(たいらのまさかど)が創建と伝えられ、文中元年(1372年)、庄内領主で羽黒山別当の大宝寺政氏(だいほうじまさうじ=武藤政氏)が大修復(再建)を行なったという記録が残されてい…
硅灰岩(けいかいせき)の岩の上に天平宝字5年(761年)に良弁(ろうべん)僧正が、聖武天皇の勅願により、開基したと伝えられる名刹が石山寺。平安時代以降は、西国三十三所第13番札所として多くの人々の尊崇を集めてきました。紫…
石山寺(滋賀県大津市)の多宝塔は、鎌倉時代の建久5年(1194年)に建立されたもので、建築年が明確なものとしては日本最古の多宝塔。もちろん国宝に指定されています。和歌山・金剛三昧院(こんごうさんまいいん)多宝塔、大阪・慈…
琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま/滋賀県長浜市)にあり、神亀元年(724年)、聖武天皇が国内安穏、国家鎮護の祈りを込めて、行基に堂塔を建立させたのが始まりと伝わる古刹が宝厳寺(ほうごんじ)。本尊の大弁財天は厳島神社、江島…
藤ノ木古墳は、奈良県斑鳩町にある6世紀後半の築造と推定される直径48m、高さ9mほどの円墳で被葬者は不明。石室内からは鳳凰、象、鬼面などの透彫を施した見事な金銅製の馬具が出土し、石室に収められた家形石棺内からは金銅製の冠…
兵庫県加西市にある天台宗の古刹、法華山一乗寺(いちじょうじ)。寺伝によれば白雉元年(650年)、孝徳天皇の勅願で法道仙人が開基したと伝えられます(法道仙人は「インドから紫雲に乗って飛来」したと伝わる伝説の渡来僧)。西国三…
大分県臼杵市(うすきし)にある磨崖仏(まがいぶつ=岩肌に刻まれた仏像)で、阿蘇山から噴出した火砕流が溶結してできた、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られた石仏群が国宝臼杵石仏。4エリアに分かれ、地名によって「ホキ石仏第1…
毎年8月最終土曜19:00〜、大分県臼杵市の国宝臼杵石仏周辺で『国宝臼杵石仏火まつり』が行なわれます。篝火や松明が一斉に点火され、石仏周辺一帯が幽玄の世界に包まれます。国宝臼杵石仏では特別祈願法要、紫外線照射実施・一般公…
全国に広がる4万社あまりの八幡宮の総本社が、宇佐神宮(うさじんぐう)。昭和60年に築かれた宝物館には、国指定の重要文化財、県の文化財など社宝数百点を収蔵展示しています。
京都、愛宕山系の高雄山の中腹にある真言宗の別格本山が神護寺(じんごじ)。高雄、槇尾、栂尾の三尾(さんび)きっての古刹で、天応元年(781年)の創建。もとは平安遷都に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)の氏寺で大同4年(8…
天正10年(1582年)6月2日、主君・織田信長を本能寺で討った明智光秀ですが、備中高松城(現・岡山県岡山市)から戻った羽柴秀吉軍と6月13日、山崎の戦いで激戦を展開。これに敗れて坂本城へと落ち延びる途中、小栗栖の藪で落…