樺山遺跡(ストーンサークル)
岩手県北上市、岩手県道255号(広瀬三ケ尻)沿いにある縄文遺跡が、樺山遺跡(かばやまいせき)。丘陵西側の緩い斜面部から平坦部にかけて、縄文時代中期の30ヶ所もの配石遺構(ストーンサークル)のある遺跡で、国の史跡。ガイダン…
岩手県北上市、岩手県道255号(広瀬三ケ尻)沿いにある縄文遺跡が、樺山遺跡(かばやまいせき)。丘陵西側の緩い斜面部から平坦部にかけて、縄文時代中期の30ヶ所もの配石遺構(ストーンサークル)のある遺跡で、国の史跡。ガイダン…
岐阜県高山市大新町1丁目、国の重要文化財に指定され、日本遺産「飛騨匠の技・こころ – 木とともに、今に引き継ぐ1300年」の構成資産にもなっているのが、吉島家住宅。文政6年(1823年)没の初代の吉島休兵衛に…
長崎県西海市崎戸町本郷、蛎浦島(かきのうらしま)と橋で結ばれる崎戸島(さきとじま)の最先端にあるのが、北緯33度線展望台。展望台横に残された戦争遺跡が、崎戸島特設見張所聴音所跡。佐世保鎮守府が沖ゆく潜水艦などのスクリュー…
大阪府東大阪市日下町にあった近畿日本鉄道・奈良線の駅の跡が、孔舎衛坂駅跡(くさえざかえきあと)。大正3年7月7日に日下駅として開業したのが孔舎衛坂駅で、昭和15年6月、孔舎衛坂駅に改称、昭和39年7月23日、新生駒トンネ…
沖縄県中頭郡読谷村、沖縄戦を控えた昭和18年に建設が始まった陸軍の読谷山飛行場(ゆんたんざひこうじょう=沖縄北飛行場)周囲に築かれた飛行機を格納するための頑強な施設が、掩体壕(えんたいごう)。読谷山飛行場には10基が築か…
長野県茅野市湖東花蒔、蓼科高原の入口、ビーナスラインから少し南に入ったところにある縄文時代の遺跡が、中ッ原遺跡。平成12年8月23日に出土、平成26年に国宝に指定された土偶「仮面の女神」で知られる遺跡で、中ッ原縄文公園と…
大阪府東大阪市と奈良県生駒市の境、生駒山を東西に貫く全長3388mの鉄道トンネルが、旧生駒トンネル(正式名は生駒隧道)。大正3年、近畿日本鉄道の前身となる大阪電気軌道が、日本初の標準軌複線トンネルとして開通させたトンネル…
長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の南側に位置するのが、尖石遺跡(とがりいしいせき)。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた茅野市尖石縄文考古館の北側には竪穴住居6棟が復元された与助尾根遺跡があり、一帯が…
長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の北側に位置するのが、与助尾根遺跡。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた南側には有名な尖石遺跡(とがりいしいせき)で、一帯が国の特別史跡・尖石石器時代遺跡です。与助尾根…
東京都町田市小野路町にある中世の城が、小野路城(おのじじょう)。平安時代末期の承安元年(1171年)、小山田有重(おやまだありしげ/秩父重弘の次男・秩父有重が小山田荘に住んで小山田氏を名乗る)が小山田城(町田市下小山田町…
東京都大田区萩中3丁目、京浜急行電鉄空港線・大鳥居駅近く、羽田神社の北側にあるのが、萩中公園(はぎなかこうえん)。その一角、ガラクタ公園と呼ばれる部分に静態保存されるのが、東京都電7000形7008号車。昭和30年12月…
東京都大田区萩中3丁目、京浜急行電鉄空港線・大鳥居駅近く、羽田神社の北側にあるのが、萩中公園(はぎなかこうえん)。その一角、ガラクタ公園と呼ばれる部分に静態保存されるのが、東武鉄道34号蒸気機関車。イギリス製蒸気機関車で…
東京都大田区田園調布1丁目、多摩川台公園の内部に現存する古墳の1基が、多摩川台古墳群・第1号墳。多摩川台公園内の古墳は、南から第1号墳、第2号墳とナンバリングされ、北端が第8号墳で、さらに北に宝萊山古墳があります(1号墳…
沖縄県石垣市、石垣島にある国の重要文化財指定される琉球王国時代の邸宅が、宮良殿内(みやらどぅんち)。尚灝王16年・文政2年(1819年)、八重山の頭職(かしらしょく)・宮良当演(みやらとうえん)が、首里の貴族屋敷を模して…
沖縄県石垣市白保、石垣島の東海岸に位置する美しい集落が、白保集落。珊瑚石灰岩でできた石垣やフクギ並木に囲まれた赤瓦の家屋、屋根にのるシーサー、古い井戸(真謝井戸、鍛冶屋の井戸など)が残るなど、古き良き沖縄を彷彿とさせる町…
鹿児島県大島郡瀬戸内町、加計呂麻島(かけろまじま)の島尾敏雄文学碑公園の北側、干潮時には干潟が広がる呑之浦(のみのうら)にあるのが第18震洋隊基地跡。太平洋戦争末期、後に小説家となった島尾敏雄(しまおとしお)を隊長とする…
鹿児島県大島郡瀬戸内町手安、奄美大島の玄関港・古仁屋港の北東にある戦争遺跡が、手安弾薬本庫跡。奄美大島と加計呂麻島に挟まれた大島海峡防備のため、大正8年に設置が決まった奄美大島要塞の一部で、戦時中は島民にもその存在を知ら…
鹿児島県大島郡瀬戸内町、奄美大島の西端、東シナ海、大島海峡に臨む曽津高崎近くに、日露戦争直後、奄美大島要塞の一部として築かれた戦争遺跡が、西古見掩蓋式観測所跡(にしこみえんがいしきかんそくじょあと)。掩蓋とは敵弾の危害を…