竹原古墳

竹原古墳

福岡県宮若市竹原、諏訪神社の境内にある直径8m、高さ6mの円墳が、竹原古墳。王塚古墳(嘉穂郡桂川町)、川島古墳11号墳(飯塚市)とともに遠賀川流域を代表する装飾古墳。6世紀後半頃の築造で、国内でも屈指の彩色壁画をもつ装飾古墳として国の史跡に指定されています。

石室内部を公開している希少な装飾古墳

【宮若市役所公式】国指定史跡 竹原古墳(福岡県宮若市)
竹原古墳
諏訪神社の境内に古墳が

かつて古墳に隣接して諏訪神社の相撲場があり、昭和31年3月18日、土俵の土取りの際に偶然古墳の入口が開口、発見され、昭和32年2月22日に国の史跡になったという古墳です。

全長6.7mの横穴式石室が配され、前室の両袖石、後室の奥壁に赤と黒の2色で馬や波、人物など形象的な図文が描かれていますが、描かれた図文に龍や朱雀など大陸からの影響が確認できます。
とくに奥壁には龍(青龍)、翳(さしば=古代に貴人が用いた団扇)、馬を連れた人、舟(または月)、連続三角文、波型文が描かれています。
約10種の図文が描かれ、物語性を感じられるため、様々な説が生まれています。

壁画が表す意味については、葬送儀礼を描いたものとする説、古代中国の東西南北を司る神獣を配置することによって守護を得ることを願う「四神信仰」説、龍と馬を掛け合わせて駿馬を得ることを願う「龍媒信仰」説などがあり定かでありません。

また、横穴式石室からは副葬品として雲珠、杏葉、鋲留金具などの馬具、金環、銀環、勾玉という装身具、刀身、柄、鉄鏃などの武具も出土しています。
副葬品や死体の歯が大小2種類に分かれていることから、男女2人の死者を安置したものだと推定されています。

馬具が複数出土していることや壁画にも馬の図文が描かれていることから、被葬者が馬に強い関心があったことがわかります。
騎馬民族が渡来人として到来、自らが開拓した水田を見渡す丘陵の先端部に墓を築いたとも推測できます。

保存状態も良好で、今なお発見当時と変わらず鮮明に色彩と描線が残され、一部は削平されているものの、墳丘がそのまま残され、石室内部も造られたそのままの状態で見学ができる、稀有な装飾古墳となっています。
受付で、入口の鍵(かぎ)と説明用のテープレコーダーを受け取り、内部に入り、観察ガラス越しに見学する仕組み(内部の撮影は禁止です)。

画像協力/宮若市

竹原古墳

後室の奥壁の絵柄を解説

竹原古墳
  • 舟=小舟または月を表しているのではないかといわれています
  • 龍=赤い火を吐き、爪をとがらせ尾を逆立て、体に赤の斑点を描いています。「四神信仰」の青龍だとも推測できます
  • 翳(さしば)=日除けなどに用いる団扇(うちわ)のようなもので、古代豪族が儀式や行列に使用、権威の象徴になっていました
  • 馬を牽いた人=小型の馬(当時の馬は小型でした)を牽く人物、人物は冠をかぶり「みずら」(美豆羅、美豆良、角髪)という髪型、上着とズボンを着て、先の尖った靴をはいています
  • 三角連続文=黒と赤の縦に描かれた三角形の連続文で、旗を表しているのではないかと推測されています
  • 船=大海を渡る船です
  • 波形文(なみがたもん)=左右対称の波形で、唐草文ではないかとも
竹原古墳
名称 竹原古墳/たけはらこふん
所在地 福岡県宮若市竹原731-2
関連HP 宮若市公式ホームページ
電車・バスで JR直方駅からJR九州バス福丸行きで34分、福丸下車、徒歩20分
ドライブで 九州自動車道若宮ICから約2km
駐車場 あり/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
王塚古墳

王塚古墳

福岡県嘉穂郡桂川町にある遠賀川流域最大で6世紀中頃に築かれた前方後円墳が王塚古墳。完全に復元されれば墳丘長86mで、濠が巡らされています。2つに分かれた石室の内部には、騎馬像、楯、連続三角文などが描かれた色鮮やかな装飾壁画があり、昭和27年

 

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