増山城
富山県砺波市ある中世の山城の跡が増山城(ますやまじょう)。砺波郡(となみぐん)・射水郡(いみずぐん)・婦負郡(ねいぐん)の3郡境にあった山城で、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)と並び越中三大山城のひとつ。国の史跡に指定…
富山県砺波市ある中世の山城の跡が増山城(ますやまじょう)。砺波郡(となみぐん)・射水郡(いみずぐん)・婦負郡(ねいぐん)の3郡境にあった山城で、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)と並び越中三大山城のひとつ。国の史跡に指定…
愛知県新城市にある中世の城が古宮城(ふるみやじょう)。三河国の地誌『三河国二葉松』によれば、元亀2年(1571年)頃、武田信玄が武田四天王のひとり、馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築いたとされ、三河侵攻の拠点のひとつ。あ…
茨城県土浦市、亀城公園(土浦城跡)南の中城通り沿いにあるのが、土浦まちかど蔵・野村。水戸街道と霞ヶ浦に近く水陸交通の要所として栄えた土浦には今も多くの商家の蔵が残り、「野村」の江戸後期から明治初期に建造された4つの蔵も観…
茨城県笠間市、笠間駅の南に広がる丘に洋画家、日本画家、彫刻家、陶芸家、染織家など40戸ほどのアトリエが点在する、「芸術の村」。北大路魯山人(きたおおじろさんじん)が住居としていた北鎌倉の茅葺き民家を昭和40年に移築したの…
茨城県石岡市は古代の常陸国の中心地。常磐自動車道の建設の際に竪穴住居跡90軒、工房跡10基(鍛冶跡)、長屋状竪穴遺溝2棟が発見された鹿の子遺跡一帯を常陸風土記の丘として整備し、古代家屋復元広場、鹿の子史跡公園、「石岡の歴…
山梨県甲府市にある中世の山城が要害山城(ようがいやまじょう)。武田氏館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた=現在の武田神社)の詰城(つめのしろ)として要害山に築かれた城で、永正17年(1520年)、武田信玄の父、武田信虎(た…
北海道で日本100名城に選定されるのは、アイヌのチャシ(砦)群の根室半島チャシ跡群、幕末の西洋城郭の五稜郭、北海道で唯一の和式城郭の松前城の3城。これに中世の倭人が築いた城館の志苔館(しのりたて/函館市)、勝山館(かつや…
宮城県仙台市宮城野区の榴岡公園(つつじがおかこうえん)にある仙台市の近現代史、民俗、文化を紹介するミュージアムが仙台市歴史民俗資料館。建物は、旧日本陸軍第二師団歩兵第四連隊兵舎。建築は明治7年、あるいは明治9年と推測され…
宮城県の城郭で日本100名城に選定されるのは奈良時代に築城された古代城跡で陸奥鎮守府の多賀城、近世(藩政時代)の仙台藩の藩庁、仙台城の2城です。さらに続日本100名城に選定される白石城の3城が宮城県三大名城といえる城。藩…
山形県内の城郭で日本100名城に選定されるのは、藩政時代に山形藩の藩庁だった山形城。続日本100名城は庄内藩・酒井家の居城、鶴ヶ岡城(鶴岡市)と直江兼続(なおえかねつぐ)築城で米沢藩の藩庁だった米沢城の2城。以上の3城が…
青森県では弘前藩の藩庁、弘前城、南北朝時代に南朝の拠点として築かれた根城が日本100名城に選定。さらに続日本100名城に、青森市の中世の城館、浪岡城が選定されているので、近世1、中世2の城が青森県三大名城ということに。
藩政時代の常陸国(現・茨城県)には、小さな藩が数多く割拠していましたが、名城として残るのは日本100名城の水戸城(水戸藩)、続日本100名城の笠間城(笠間藩)と土浦城(土浦藩)の3城。江戸時代の遺構が残るのは、茨城県内で…
茨城県笠間市の佐白山(205m)の山上にある藩政時代、笠間藩の藩庁だったのが笠間城(かさまじょう)。明治6年の廃城令で建物は破却され、石垣、堀などが残るのみですが、続日本100名城にも選定されています。鎌倉時代、笠間氏の…
静岡県静岡市駿河区丸子、東海道丸子宿(まりこしゅく=鞠子宿)で、慶長元年(1596年)創業の老舗が、丁子屋(ちょうじや)。歌川広重の『東海道五十三次』にも描かれる宿場名物のとろろ汁は松尾芭蕉の句(梅若菜丸子の宿のとろろ汁…
神奈川県の名城といえば、北条五代の居城で総構えとして知られる小田原城が筆頭。日本100名城の小田原城と、続日本100名城に選定される小机城、石垣山城が神奈川県三大名城ということに。石垣山城は、豊臣秀吉が小田原攻めの際に一…
千葉県内の城で日本100名城に選定されるのが下総国の佐倉城のみ。そして続日本100名城に選ばれるのが下総国の本佐倉城、上総国の大多喜城です。この3城が千葉県三大名城となりますが、下総国の城は藩政時代には江戸防備の拠点とな…
静岡県三島市、三島市役所の東側にあるのが伊豆国分尼寺跡(祐泉寺)。天平13年(741年)、聖武天皇が下した詔により、全国に建てられた国分尼寺(法華滅罪之寺)のひとつで、伊豆国の国府近くに建てられたもの。臨済宗の寺、祐泉寺…
静岡県三島市泉町にある日蓮宗の寺、伊豆国分寺。天平13年(741年)、聖武天皇が下した詔により、全国に建てられた国分寺(金光明四天王護国之寺)の後継寺院で、境内には塔跡、基壇、8個の礎石が残され、伊豆国分寺塔跡は国の史跡…