倭文神社
群馬県伊勢崎市東上之宮町に建つ平安時代編纂の『延喜式神明帳』記載の古社(式内社)、倭文神社(しどりじんじゃ)。祭神の建葉槌命(武葉槌命・たけはづちのみこと)は、倭文部(しとりべ=大和王権が設定した織物の技術者集団)の遠祖…
群馬県伊勢崎市東上之宮町に建つ平安時代編纂の『延喜式神明帳』記載の古社(式内社)、倭文神社(しどりじんじゃ)。祭神の建葉槌命(武葉槌命・たけはづちのみこと)は、倭文部(しとりべ=大和王権が設定した織物の技術者集団)の遠祖…
長野県長野市、平安時代から修験者が集うなど、信仰の地だった戸隠(とがくし)。その中心となるのが戸隠神社中社(ちゅうしゃ)で、宝光社(ほうこうしゃ)、奥社、九頭龍社、火之御子社の5社をあわせて戸隠神社と総称されています。宝…
島根県松江市美保関町、美保関近くの長浜港東側の島根県道2号(境美保関線)沿いの海岸にある注連縄(しめなわ)が掛かる大小2つの岩が男女岩(みょうといわ・めおといわ)。男根に似た男岩と女岩の間に、神の山「大山」を眺望すること…
島根県松江市美保関町、地蔵崎の先端の美保の碕(みほのせき)の鳥居から海を眺めると眼下に地ノ御前(ちのごぜんじま)という岩礁を眺望。さらに沖合にある沖ノ御前島とともに美保神社の祭神である事代主命(ことしろぬしのみこと・恵比…
東京都西多摩郡日の出町にある名刹が、塩澤山寳光寺(えんたくざんほうこうじ)。室町時代の文明10年(1478年)、以船文済和尚(いせんもんさいおしょう)が曹洞宗の寺、寳光寺を建立したのに始まり、平成30年4月には33世とな…
群馬県高崎市、高崎市街の西郊外、鼻高山の北斜面に建つ、黄檗宗(おうばくしゅう/宇治・萬福寺が大本山)の寺、少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)。元禄10年(1697年)、厩橋藩(前橋藩)第5代藩主・酒井忠挙(さかいただ…
香川県高松市東部、五剣山(375m)の中腹、標高230m内外にある真言宗高野山派の寺、八栗寺(やくりじ)。四国八十八ヶ所霊場第85番札所で、四国ケーブルの八栗ケーブルが山麓から寺へと通じています。寺伝によれば、当初は山頂…
香川県三豊市の津島にあるのが津嶋神社(つしまじんじゃ)。本殿は陸と橋長250mの津島橋で結ばれた津島にありますが、祈祷殿、参集殿、社務所などは陸側に配されています。津島橋を渡って本殿に参拝できるのは『夏季大祭』(毎年8月…
島根県松江市、カフェや雑貨屋が建ち並ぶ京店商店街の路地、カラコロ広場近くの紺屋小路(こうやしょうじ)は別名が「ハートの石畳」。平成8年、京店周辺活性化事業の一環として片原地区と東茶町地区の民家2軒が立ち退きをして誕生した…
茨城県つくばみらい市板橋にある真言宗豊山派の古刹、板橋不動尊。正式名は、清安山願成寺不動院で、寺伝によれば、大同3年(808年)、空海(弘法大師)の創建。本尊の不動明王・二童子立像は空海(弘法大師)が自刻と伝えられ、国の…
埼玉県比企郡吉見町にある真言宗智山派の古刹、岩室観音。正式名は、岩室山龍性院。寺伝によれば弘仁年間(810年~824年)、空海が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を自刻し、岩窟に祀ったのが始まり。近くにあった…
埼玉県比企郡吉見町の八丁湖近くにある真言宗智山派の古刹が吉見観音(安楽寺)。本尊は聖観世音菩薩で、寺号は安楽寺ですが吉見観音として有名。坂東三十三観音(坂東三十三箇所)の11番札所、さらに関東八十八箇所75番札所にもなっ…
沖縄県那覇市若狭にある海岸に臨む断崖上に建つ古社が波上宮(なみのうえぐう)。彼方の海神の国(ニライカナイ)を望む聖地で、琉球王から特別の扱いを受けた「琉球八社」(琉球に伝わった真言宗の寺院に付帯した神社)のひとつにもなっ…
三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正…
神宮(伊勢神宮)、内宮(ないくう=皇大神宮)参道途中、五十鈴川沿いにある古来からの禊(みそぎ)の場が御手洗場(みたらし)。宇治橋の前で一礼し、心も正して宇治橋を渡り、一の鳥居をくぐった先で五十鈴川に出ると御手洗場がありま…
中国・清朝の対日政策の変更による唐船(中国商船)の往来の増加による密貿易対策として、元禄2年(1689年)、長崎各地に住んでいる中国人を集めて造られた外国人居留地が、唐人屋敷。その遺構のひとつが旧唐人屋敷・観音堂で、瓢簟…
長崎県長崎市館内町にある、鎖国時代の日本の交易を支えた中国人(唐人)たちの居留地に築かれた媽祖廟(まそびょう)の遺構が旧唐人屋敷・天后堂。天后堂(てんこうどう)は、元文元年(1736年)に、南京出身の人々が航海の安全を祈…
鎖国政策の中、江戸時代の長崎(現・長崎県長崎市)には1万人もの中国人が暮らしていたと推測されていますが、元禄4年(1691年)、唐船(中国船)の船頭たちの願いが許可され、当時中国人の居留地だった唐人屋敷入口に建立された土…