土讃線第二吉野川橋梁
JR四国、土讃線大歩危駅(おおぼけえき)、小歩危駅(こぼけえき)間(5.7km)に架かる第二吉野川橋梁(徳島県三好市)は、ジオラマ化した150分の1スケールモデルが発売されるほどの鉄道景勝地。全長250m、高い橋脚に支え…
JR四国、土讃線大歩危駅(おおぼけえき)、小歩危駅(こぼけえき)間(5.7km)に架かる第二吉野川橋梁(徳島県三好市)は、ジオラマ化した150分の1スケールモデルが発売されるほどの鉄道景勝地。全長250m、高い橋脚に支え…
徳島県徳島市を流れる吉野川下流部に架かるJR四国・高徳線の鉄道橋、吉野川橋梁(よしのがわきょうりょう)。昭和10年3月に完成した全長949.2mの橋梁で、完成当時は全国の鉄橋のベスト3という長大橋でした。現在でも四国内で…
松山と道後温泉を結び明治21年に開業した日本最古の軽便小鉄道が伊予鉄道。伊予鉄道城南線の終着駅で、道後温泉の玄関駅が明治28年開業の道後温泉駅。明治44年建築のレトロな旧駅舎が復元されています。往時の坊っちゃん列車をモデ…
宇土半島(熊本県宇城市)の先端、三角ノ瀬戸に臨む標高405.7mのピークが三角岳(みすみだけ)。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録の三角西港の背後にそびえ、登山道は南の三角東港側から尾根沿いに山頂へとのびていま…
薩摩半島の南端にそびえる開聞岳(かいもんだけ/924m)は10万年前に形成された阿多カルデラ(鹿児島湾南端の湾口部を構成するカルデラ)内では最も新しい火山。4000年ほど前に誕生した火山です。円錐形で、どこから眺めても秀…
鹿児島県霧島市にあるJR肥薩線の駅で明治36年1月15日開業の駅が嘉例川駅(かれいがわえき)。大正9年、皇太子(昭和天皇)が東郷平八郎とともに高屋山上陵参拝のため乗降した歴史を有しています。開業当初のままに現存する駅舎は…
鹿児島県霧島市にあるJR肥薩線の駅で、鉄道院が横川駅として明治36年1月15日に開設(大正9年に大隅横川駅に改称)。開業前年の明治35年築のレトロな駅舎は国の登録有形文化財になっています。現存する鹿児島県内最古の駅舎で、…
100mに及ぶ切り立った断崖絶壁をゆったりと流れる三段峡の瀞(とろ)、黒淵を周遊するのが黒淵渡船。黒淵とは水深が深いため、エメラルドグリーンを通り越して黒く見えることから。黒淵にある黒淵荘は、食事や軽食も可能です。三段峡…
国の特別名勝に指定される全長16kmの大峡谷が広島県安芸太田町の三段峡。石英斑岩が侵食された高さ20mの断崖が5mほどに狭まり、長さ85mほどのゴルジュ(峡谷)を舟で遊覧する三段峡の秘境中の秘境が猿飛。猿飛渡船(定員14…
宮島口と宮島を結ぶフェリーは、JR西日本の宮島航路のほか、広島電鉄グループの宮島松大汽船も運航。前身は地元実業家・松本大次郎が昭和14年に設立した松大航運社。昭和33年に広電グループになっています。フェリー4隻のうち「安…
JR宮島口駅に隣接する宮島口桟橋と宮島桟橋を結ぶ宮島航路。かつては国鉄が運航していた航路で、民営化後はJRグループが運航しています。明治36年に山陽鉄道が鉄道連絡線を始めたという歴史ある航路です。実は、桟橋もJR宮島口駅…
厳島神社(いつくしまじんじゃ)とともに世界遺産に登録される弥山(みせん)に懸けられた宮島ロープウェー。広島電鉄グループの広島観光開発が運行するロープウェイで、山麓の紅葉谷駅を出て中間駅の榧谷駅(かやだにえき)で乗り継ぎ、…
阪神と九州を結ぶ阪九フェリー。福岡県北九州市門司区新門司北に本社を置く海運会社(SHKライングループ)で、その拠点となっているのが新門司港です。注意したいのは泉大津行の便がフェリーの煙突部を模した造りの第2ターミナルから…
福岡県北九州市が運営する北九州市営渡船の航路で洞海湾で隔たれる若松区と戸畑区を結ぶ若戸渡船(若戸航路)の若松区側の乗り場が若松渡場。市営渡船ながら、関門汽船に委託されて運航されているもので、渡場の待合室内に券売機が設置さ…
北九州市洞海湾に架かる若戸大橋の下を通って、若松区と戸畑区を結ぶのが若戸渡船(北九州市営若戸航路)。その戸畑区側の乗船場が戸畑渡場です。JR戸畑駅北口から徒歩10分という便利なアプローチになっています。戸畑渡場は、若戸大…
北九州市の若松区(若松渡場=若松区本町1丁目/JR若松駅から徒歩20分)と戸畑区(戸畑渡場=戸畑区北鳥旗町/JR戸畑駅北口から徒歩10分)を3分で結ぶ北九州市営の渡船が若戸渡船(北九州市営若戸航路)。「第十八わかと丸」(…
山陽新幹線、在来線に連絡する小倉駅(福岡県北九州市小倉北区)と小倉南区の企救丘駅(きくがおかえき)を結ぶ北九州高速鉄道の跨座式モノレール路線が北九州モノレール。正式名は北九州高速鉄道小倉線で、昭和60年1月9日開業。営業…
唐戸(からと)とは唐(中国)への戸(玄関口)という意味で国際都市として栄えた下関の往時の雰囲気を伝える地。唐戸桟橋は、関門汽船の関門連絡船発着所。最盛期の昭和48年には、年間128万人もの人を門司へと運んでいます。現在で…