永福寺跡
神奈川県鎌倉市二階堂、鎌倉宮から瑞泉寺へ向かう途中、二階堂川に架かる通玄橋の手前で左に折れ、二階堂の谷奥、発掘調査で発見された建物の基壇や苑池などが復元される一帯が、永福寺跡(ようふくじあと)。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が…
神奈川県鎌倉市二階堂、鎌倉宮から瑞泉寺へ向かう途中、二階堂川に架かる通玄橋の手前で左に折れ、二階堂の谷奥、発掘調査で発見された建物の基壇や苑池などが復元される一帯が、永福寺跡(ようふくじあと)。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が…
長徳2年(996年)、紫式部は父・藤原為時に伴って越前国に入国しますが、これが人生で京を離れて暮らした唯一の経験。紫式部が暮らした屋敷のあった場所は定かでありませんが、父・藤原為時が国司として任官した国庁は、越前市武生に…
滋賀県大津市にある石山寺は、平安時代、宮中の女性たちの観音詣(石山詣)の地。紫式部は、石山寺で『源氏物語』の構想を練ったとされています。また琵琶湖の舟運を含め、越前下向時の道筋でもあり、父・父・藤原為時(ふじわらのためと…
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部。『源氏物語』、『紫式部日記』の作者としても知られる紫式部ゆかりの地を旅するならば、まずは活躍の地である京都へ。平安時代、大坂(大阪)や兵庫(神戸)がまた田舎だとさ…
京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう=子院)が、雲林院(うんりんいん)。淳和天皇(じゅんなてんのう/在位823年〜833年)、仁明天皇の離宮「紫野院」があった地で、貞観11年(869年)に雲…
2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』(主演・吉高由里子)の主人公・紫式部は、藤原宣孝(ふじわらののぶたか)との結婚が決まるまでの1年余りを、越前国の国府のあった福井県越前市で過ごしています。越前国国府と紫式部の歴史を…
京都府宇治市、京都府道7号(京都宇治線)が宇治川をまたぐ宇治橋の西詰にあるのが、夢浮橋之古蹟碑・紫式部像(ゆめのうきはしのこせきひ・むらさきしきぶぞう)。夢浮橋は、『源氏物語』第54帖(最後の巻)、第三部「宇治十帖」の最…
滋賀県高島市鵜川、白鬚神社の総本社で、琵琶湖の湖中に立つ大鳥居が人気の白髭神社。その境内にあるのが紫式部歌碑。越前国の国司となった父・藤原為時(ふじわらのためとき)に帯同して越前へと下向する際に、この地で詠んだのが、「三…
京都市北区紫野西御所田町、堀川北大路交差点の南、堀川通沿い、島津製作所紫野工場の隣接地にあるのが、紫式部の墓。大河ドラマ『光る君へ』の主人公で、『紫式部日記』、『源氏物語』の作者として知られる紫式部ですが、生年、没年も定…
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)の直後、岡崎城近くの、松平家菩提寺・大樹寺に逃げ込んだ松平元康(徳川家康)に対し、住職・登誉天室(とうよてんしつ)が「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)の教えを諭し、以来…
東京都文京区春日1丁目、元暦元年(1184年)、源頼朝が創建したと伝える古社が、牛天神北野神社。祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)で、撫で岩と称される牛に似た石を御神体としたことから、牛天神の名が生まれました。撫でると…
東京都港区芝公園4丁目、日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮とも称されるのが、芝東照宮。徳川家康が没した翌年、元和3年(1617年)、徳川家菩提寺・増上寺の境内に創建された社で、還暦を迎えた徳川家康が命じ…
東京都港区芝公園4丁目、増上寺の大殿(だいでん)の北にある堂が、安国殿。本尊は、恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられる秘仏・黒本尊で、徳川家康が深く尊崇した念持仏で、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たと…
東京都千代田区麹町6丁目にある浄土宗の寺が、心法寺(しんぽうじ)。徳川家康の関東入封に伴い、三河の秦宝寺から然翁聖山が帯同し、三河に帰ろうとした和尚を家康が江戸に留めたため、慶長2年(1597年)、心法寺を創建したと伝え…
東京都千代田区内神田1丁目、江戸城の東北、JR神田駅、東京メトロ大手町駅から徒歩数分の場所にあるのが、御宿稲荷神社(おんじゅくいなりじんじゃ)。徳川家康が関東に封移された際、最初に宿所とした神田村の郷士の家の跡で、郷士の…
京都府京都市北区紫竹牛若町、源義経(みなもとのよしつね)の生誕地と伝えられ、牛若丸(義経の幼名)の胞衣(えな)を埋めたと伝える塚が、牛若丸胞衣塚。あくまで伝承の域を脱しない話ですが、隣接して牛若丸産湯井も残り、江戸時代に…
静岡県浜松市中区広沢、遠江(とおとうみ=静岡県西部)における曹洞宗(そうとうしゅう)の拠点となる寺が、普済寺(ふさいじ)。徳川家康ゆかりの寺でもあり、徳川家康の遠江侵攻の際には寺に陣が置かれています。日本三大稲荷に数えら…
永禄3年(1560年)、那古野城(愛知県名古屋市、後の名古屋城)を目指し駿河・遠州・三河の4万5000余の大軍で西へと進軍する今川義元に対し、尾張を統一目指していた織田信長が挑んだ合戦が、桶狭間の戦い(おけはざまのたたか…