北原白秋記念館
日本を代表する詩人、北原白秋は明治37年、20歳で上京するまでを現在の福岡県山門郡沖端村(現・福岡県柳川市)で過ごしています。少年時代、母方の叔父や出入り商人から内外の物語や珍しい話を聞き、文学への憧れを募らせていったと…
日本を代表する詩人、北原白秋は明治37年、20歳で上京するまでを現在の福岡県山門郡沖端村(現・福岡県柳川市)で過ごしています。少年時代、母方の叔父や出入り商人から内外の物語や珍しい話を聞き、文学への憧れを募らせていったと…
周防灘(すおうなだ)に面し、古代から水陸交通の要衝として栄えたのが現在の山口県防府市。地名は奈良時代に周防国の国府が置かれたことに由来しますが、天平13年(741年)、聖武天皇の勅願により全国に建てられた国分寺の後継寺院…
2019年10月25日(金)~12月1日(日)18:00~22:00(拝観受付終了21:30)、京都市東山区の青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)『夜間の特別拝観・秋』が行なわれます。毎年春と秋に、夜の特別拝観とライトア…
2019年11月1日(金)~11月30日(土)17:00~20:00(受付終了19:30)、京都市左京区の曼殊院で『秋の夜間特別拝観』(紅葉ライトアップ)が行なわれます。洛北屈指の名刹、曼殊院は、春の霧島ツツジ、秋の紅葉…
京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派総本山が永観堂。「紅葉の永観堂」として知られる名刹ですが、正しくは禅林寺。仁寿3年(853年)、空海の弟子・真紹(しんじょう)が、歌人・文人の藤原関雄の山荘を譲り受け、真言密教の寺とし…
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺(正式名は高台寿聖禅寺)。豊臣秀吉の菩提を弔うために、秀吉の正室、北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)が徳川家康の援助を仰ぎ、慶長10年(1605年)に創建した近世京都を…
京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺の重要な塔頭(たっちゅう=子院)が圓徳院。慶長10年(1605年)、豊臣秀吉の北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)の甥、木下利房(きのしたとしふさ)が、秀吉との思い出深い伏見城…
広島県福山市の瀬戸内海交易で栄えた鞆の浦。壮麗な石垣の上に鞆の浦を見下ろすようにして建つのが千住院福禅寺です。山号を海岸山といい、天歴年間(947年〜957年)、空也創建と伝わる古刹。対潮楼はその客殿にあたり、元禄年間(…
広島県三原市にあるしまなみ海道一望の展望台が標高444.9mの竜王山の山頂にある竜王山展望台。有名な筆影山展望台(標高311m)から南西に位置するので、展望台のハシゴも可能。瀬戸内海の島々はもちろん、しまなみ海道の10橋…
広島県三原市街の南、三原湾、佐木島、しまなみ海道の島々を眼前にする筆影山(標高311m)の山頂にある展望台。狭いながらも山頂までは車道が通じていて、山頂は桜の植栽された園地になっています。ルートは北側の和田から上る和田口…
広島県尾道市には尾道水道を見渡す数多くの展望台がありますが、なかでも知る人ぞ知る展望台で、しかも随一の絶景とスリルを味わえるのが浄土寺山にある不動岩展望台。山麓から浄土寺山を眺めると山中に大きな岩があることに気がつきます…
広島県尾道市街の東、尾道水道に迫るようにそびえる標高178.5mの山が浄土寺山。瀬戸内海交易の拠点だった尾道は、その財力を背景に真言宗などの寺も繁栄し、浄土寺山(瑠璃山)、西國寺山(愛宕山)、千光寺山(大宝山)を尾道三山…
広島県尾道市にある真言宗泉涌寺派大本山、浄土寺。境内の本堂、多宝塔が国宝であることで知られていますが、実はその背後の浄土寺山(標高178.5m)は、巨石が累々とする場所もあり、真言密教の修験の地で、山頂近くに浄土寺・奥の…
広島県福山市の瀬戸内海交易で栄えた鞆の浦(とものうら)。古き家並みが残される鞆の町並みからやや離れますが、弓状に突き出した半島や波止場、仙酔島などを一望にする後山の中腹、絶景地に建つのが、医王寺。空海(弘法大師)創建の寺…
広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海交易、そして北前船の寄港ととして繁栄した歴史を有しています。鞆港の雁木に面して建つ白壁土蔵がいろは丸展示館。館内では、海援隊を組織した坂本龍馬が瀬戸内海を航行中に紀州藩の軍艦と衝突、鞆の浦…
広島県福山市鞆町にある江戸時代の豪商で保命酒を醸した旧宅が太田家住宅。幕末に尊王攘夷派の三条実美ら七公卿も滞在したことから別名「鞆七卿落遺跡」とも。18世紀中期から19世紀前期に建てられた全9棟からなる住宅は、江戸時代、…
広島県福山市鞆町(ともちょう)にあり、「鞆の祇園さん」とも呼ばれるのが沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)。神功皇后(じんぐうこうごう)が霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まると伝わる古社で、明治時代に渡守神社(わた…
広島市内で唯一の国宝建築物が、原爆投下の被害が軽微だった不動院・金堂。天井の墨書(ぼくしょ)から天文9年(1540年)築と判明し、国宝になっていますが、もともとは大内義隆が周防(すおう=現・山口県)山口に建てたもの。天正…