九条塚古墳
千葉県富津市の内裏塚古墳群のひとつ。墳丘長103m(後円部直径57m、前方部幅74m)で、内裏塚古墳群では五番目の墳丘長を誇る大きな古墳です。内裏塚古墳、稲荷山古墳、三条塚古墳と並んで、須恵国造(すえのくにのみやつこ)な…
千葉県富津市の内裏塚古墳群のひとつ。墳丘長103m(後円部直径57m、前方部幅74m)で、内裏塚古墳群では五番目の墳丘長を誇る大きな古墳です。内裏塚古墳、稲荷山古墳、三条塚古墳と並んで、須恵国造(すえのくにのみやつこ)な…
千葉県富津市にある墳丘長144mの前方後円墳で千葉県最大の古墳。関東地方でも第8位、千葉県内や房総半島、東京湾周辺では最大規模を誇る巨大古墳となっています。前方後円墳11基、方墳7基、円墳29基が確認されている内裏塚古墳…
富津市の青堀駅前のロータリー横にある古墳が上野塚古墳(うわのつかこふん)。前方後円墳11基、方墳7基、円墳29基の計47基の古墳が確認される内裏塚古墳群(だいりづかこふんぐん)の1基で、帆立貝型の前方後円墳。5世紀末頃築…
当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部に…
同心円状に4重に堀が巡らされた田中城(静岡県藤枝市)。 信玄が配下の馬場信房に命じて甲州流の築城術を駆使して築いた難攻不落の城です。 江戸時代には田中藩の藩庁にもなりましたが、現在では田中藩も田中城も一部の城好き意外には…
慶長12(1607)年、将軍職を2代目・秀忠に譲った家康は隠居して駿府城(静岡市)に暮らします。 東海道の要衝である駿府に暮らすことで、江戸を守るのと同時に、西への睨みをきかしたのです。 人質時代に暮らした住みやすい温暖…
徳川家康の死因は、定かでありません。 一般に流布しているのは「鯛の天ぷらを食べて死んだ」というもの。 鯛の天ぷらにあたったのでしょうか? その鯛の天ぷらを食したといわれるのが、田中城(現・藤枝市)です。
城の全体設計、つまりはどこにどう曲輪(くるわ=郭)を配置するかというのは、戦国時代を生き抜く城主にとっては最重要課題。 地形を活かして、独特な城郭が生まれています。 同心円状に堀や土塁を何重にも重ねて配置する縄張(なわば…
駿府城に居城する大御所(徳川家康)に拝謁する気持ちで、駿府城の本丸を目ざします。 今回はパート2で、二ノ丸から本丸への道のり。 前回、二ノ丸で坤櫓を見学したので、今回は二ノ丸へ東御門から入城します。 三ノ丸大手御門から入…
JR静岡駅前に降り立っても、そこが城下町という雰囲気はありません。 近代的な町並みだからです。 静岡の城下町は昭和15年の静岡大火と、昭和20年の空襲で大御所ゆかりの美しい家並みは失われてしまいました。 面影が残るのは、…
徳川家康は生涯のうち、3回駿府城に天守を建てています。 最初に駿府に来たときは、天文16年(1547年)、今川氏全盛期である9代・今川義元の時代。家康も松平竹千代という幼名を名乗っています。 人質として6歳から19歳まで…
慶長10年(1605年)、将軍職を子の徳川秀忠に譲り、駿府に隠居を予定した徳川家康は、天下普請によって駿府城を大修築。 慶長12年(1607年)には駿府城を居城として「大御所政治」が始まります。 駿府城は、名目上は徳川頼…
東海道島田宿は、対岸の金谷宿ともに、大井川の川留めで繁栄した宿場です。 大井川の通常の水位は、帯の位置ので帯通2尺5寸(約76cm)。これが脇まで増水の脇通4尺五寸(約136cm)を超えると川留めとなりました。 大井川の…
市川市国府台にある里見公園。春には8.4haの庭園の中央芝生広場を囲むように、ソメイヨシノ、オオシマザクラ、河津桜など260本余りが咲き誇ります。『里見公園さくら祭り』期間中の土・日曜などには20:00までライトアップも…
江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分…
太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年…
2024年4月5日(金)~4月7日(日)、静岡県静岡市で『第68回静岡まつり』が開催されます。静岡浅間神社の『廿日会祭』(はつかえさい/駿河の大祭といわれる静岡浅間神社の例大祭/4月1日〜6日)に呼応して、昭和32年から…
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。