はさかり岩
兵庫県豊岡市の竹野海岸、休暇村竹野海岸の西、淀の洞門と清龍洞門の間にある奇岩が、はさかり岩。「但馬漁火ライン」と通称される兵庫県道11号(香美久美浜線)沿いにハサカリ岩展望台があるので、岩と岩の間に巨岩が「はさかる」(挟…
兵庫県豊岡市の竹野海岸、休暇村竹野海岸の西、淀の洞門と清龍洞門の間にある奇岩が、はさかり岩。「但馬漁火ライン」と通称される兵庫県道11号(香美久美浜線)沿いにハサカリ岩展望台があるので、岩と岩の間に巨岩が「はさかる」(挟…
兵庫県豊岡市但東町相田にある臨済宗大徳寺派の寺が、安国寺。裏庭のドウダンツツジの紅葉を眺める額縁紅葉が有名で、11月中旬の紅葉の見頃に合わせて、樹齢百数十年というドウダンツツジ紅葉一般公開が行なわれています(期間中の平日…
兵庫県姫路市四郷町、姫路市内の遺跡から発見された出土品を展示公開する施設が、姫路市埋蔵文化財センター。姫路市は国宝・姫路城を中心に、近世の城下町があるだけでなく、古代には播磨国の中心地で、壇場山古墳(全長143mの前方後…
兵庫県姫路市、昭和29年4月13日にインドのネール首相から贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するための塔が、名古山霊苑仏舎利塔。高さ38mの中心塔(パゴダ)を6つの塔で囲む連立式で、四方に納骨堂を配しています。周辺は明治…
兵庫県姫路市妻鹿町甲山にある中世の山城の跡が、国府山城(こうやまじょう)。妻鹿城(めがじょう)とも呼ばれ、羽柴秀吉に姫路城を譲った黒田官兵衛と、父・黒田職隆(くろだもとたか)は、この国府山城(妻鹿城)に入城しています。本…
兵庫県佐用郡佐用町にある山城で土塁、石垣、空濠などが現存するのが、上月城(こうづきじょう)。延元元年(1336年)、赤松氏の一族・上月景盛が築城。天正6年(1578年)には、毛利輝元と織田方の尼子勝久との間で、上月城の戦…
兵庫県加古川市志方町にある曹洞宗の寺、観音寺。観音寺は、黒田官兵衛(NHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』主人公)の妻・光(てる/みつ)が生まれた櫛橋家の居城・志方城の城跡。現在の観音寺境内が本丸跡で、本丸を囲む内堀の周囲に二…
兵庫県神戸市で神姫バス(しんきばす)が運行するのが、連節バス「Port Loop(ポートループ)」。新神戸からウォーターフロントが乗り換えなしでアクセスできるという便利なバスで、横浜などでも運行する連節バスが採用されてい…
兵庫県三木市、平成20年4月1日に廃止された三木鉄道三木線(厄神駅〜三木駅/6.6km)の三木駅〜下石野駅間4.8kmを遊歩道に転用したのが、別所ゆめ街道(三木鉄道跡地遊歩道)。途中駅の別所駅、石野駅の駅跡は、それぞれ駅…
兵庫県三木市福井、旧三木鉄道三木駅の駅舎を保存し、一帯を公園化したのが、三木鉄道記念公園。三木鉄道三木線(厄神駅〜三木駅/6.6km)は、平成20年4月1日に廃止されていますが、大正6年1月23日の開業時(開業時は播州鉄…
兵庫県丹波市と丹波篠山市を結ぶ篠山街道には、鐘ヶ坂隧道(明治のトンネル)、鐘ヶ坂トンネル(昭和のトンネル)、新鐘ヶ坂トンネル(平成のトンネル)と3代にわたるトンネルがあります。明治13年着工、明治16年に完成の馬車を通す…
兵庫県丹波篠山市後川新田にある、かつて三ツ矢サイダーの炭酸源泉として使われていた鉱泉が、旧アサヒビール多紀分工場炭酸源泉(三ツ矢サイダー源泉)。炭酸ガスの製造のため、大正9年、「三ツ矢サイダー」を製造する帝国鉱泉が多紀炭…
兵庫県川西市平野3丁目、国道173号の脇、ホームセンターの「コーナン川西平野店」北側にあるのが、三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)。明治17年、「平野水」の名で瓶詰めにして販売された炭酸水が三ツ矢サイダーの始まり。…
兵庫県川西市、妙見の森ケーブルのケーブル山上駅で、ケーブルカーと連絡するのが能勢電鉄の妙見の森リフト。ふれあい広場~妙見山の妙見山の山上部に架かるリフトで、戦前はケーブルカーが下部線、上部線に分かれていましたが、戦時下…
兵庫県川西市、山麓の黒川駅とケーブル山上駅を結ぶ能勢電鉄運営のケーブルカーが、妙見の森ケーブル。ケーブル山上駅では妙見の森リフトに連絡し、妙見山の山上に到達できます。能勢電気軌道(現・能勢電鉄)が妙見山への参詣の足とし…
兵庫県丹波篠山市にある大正12年築の篠山町役場を再生した篠山の観光拠点が、丹波篠山大正ロマン館。平成4年3月まで篠山町役場として使われた洋館で、平成5年6月3日に丹波篠山大正ロマン館として再生。館内にはレストランやテイク…
兵庫県加古郡播磨町、弥生時代後期から古墳時代初頭の代表的な遺跡である大中遺跡(おおなかいせき)を中心とした史跡公園が、播磨大中古代の村(大中遺跡公園) 。全長500m、幅180mが公園として整備され、公園の中央…
兵庫県姫路市御国野町、御着城(ごちゃくじょう)跡の一角にあるのが、黒田家廟所。造営当初の板墨書銘によれば、福岡藩主・黒田家が享和2年(1802年)に完成させた黒田重隆の墓所。黒田孝高(くろだよしたか/黒田官兵衛、後の黒田…