春の藤原まつり
源義経は、文治5年閏4月30日(1189年6月15日) 、奥州・平泉の衣川館(現・高館義経堂の地)で自刃。ということで岩手県平泉町で5月1日〜5日に開催されるのが恒例の『春の藤原まつり』です。清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代…
源義経は、文治5年閏4月30日(1189年6月15日) 、奥州・平泉の衣川館(現・高館義経堂の地)で自刃。ということで岩手県平泉町で5月1日〜5日に開催されるのが恒例の『春の藤原まつり』です。清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代…
明治43年築の旧第九十銀行本店本館を再生し、石川啄木と宮沢賢治が青春を育んだ盛岡の街とふたりの青春時代を紹介する博物館がもりおか啄木・賢治青春館。ふたりはともに盛岡中学の出身。旧第九十銀行本店本館設計者の横濱勉(よこはま…
石川啄木の人となり、文学について顕彰し、資料を保存、収集、公開する盛岡市の記念館で啄木の故郷の渋民に建っています。現在の建物は啄木生誕百年を記念して昭和61年に建設されたもの。石川啄木の直筆書簡やノート、渋民尋常高等小学…
中学時代からの友人である堀合節子と19歳で結婚した石川啄木が、明治38年6月4日から6月25日までの3週間を暮らした家が盛岡市に現存する啄木新婚の家。父母、妹との同居で人生は毎日が貧困との闘いでした。啄木・節子夫妻が質素…
八幡平アスピーテライン(御在所~見返り峠~ふけの湯ゲート)は例年4月中旬(4月15日前後)、そして八幡平樹海ラインは4月下旬(ゴールデンウィーク直前)に開通します。両方が開通した際には開通時には全長27kmという長さ日本…
岩手県雫石町(しずくいしちょう)の岩手山神社へと続く参道にあるエドヒガンの古木。推定樹齢は800年で、「日本最北の巨桜」といわれています。空海(弘法大師)が参道を通った際に杖を突き立てたものが根付いたとの伝承まで生んだほ…
岩手山を遠くに望む岩手県八幡平市の小高い丘にどっしりと咲く一本桜。かつて為内山(いないさん)には伊那那伊澤神社が鎮座していましたが、大正8年に野駄田中に神社移設合祀の際、御神木だった桜の巨樹1本だけ残されたもの。オダギリ…
盛岡の水道の水源は、米内川、中津川、雫石川、簗川の4河川。このうち米内川を水源とする浄水場が米内浄水場(よないじょうすいじょう)です。昭和9年に浄水場の完成とともに植栽されたシダレザクラが見事です。ヤエベニシダレヒガンザ…
東北自動車道 ・岩手山サービスエリアの西に広がる八幡平市営牧野の102haの放牧地・上坊牧野に咲くのが上坊牧野(うわぼうぼくや)の一本桜(上坊の一本桜)。品種は、桜の野生種の一種で、霞がかかっているように見えることが名の…
岩手県雫石町の小岩井農場の農場内にあるカメラマンに人気の一本桜。NHKの連続テレビ小説『どんど晴れ』(平成19年放送、平成27年にNHKBSプレミアムで再放送)に登場する印象的な桜(樹種はエドヒガン)で、テレビの放送とと…
岩手県盛岡市街、盛岡地方裁判所構内にある周囲23mの巨大な花崗岩の割れ目から育った桜がその名の通りの石割桜。国の天然記念物に指定される石割桜は、樹高11m、根回り4.3mというエドヒガンの巨樹で樹齢は300年とも400年…
嘉祥3年(850年)、慈覚大師(円仁)が開山した平泉の名刹が中尊寺。天台宗東北大本山で、山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。長治2年(1105年)、奥州藤原氏初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が21年の歳月を費や…
岩手県平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂が金色堂。棟木墨書銘から天治元年(1124年)8月20日、金色堂が上棟したことが判明しています。奥州藤原氏初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)69歳の時のこと。平等院鳳凰堂…
平安時代初期の弘仁3年(812年)頃、大蔵卿・陸奥出羽按察使の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が蝦夷(えみし)征討の責任者となって現在の岩手県矢巾町(やはばちょう)に築いた古代の城柵が徳丹城(とくたんじょう)。紫波城(現・…
岩手県盛岡市にある志波城(しわじょう)は、胆沢地方において蝦夷の首長・アテルイを降伏させた翌年、延暦22年(803年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)によって造営された古代城柵の跡が志波城跡。発掘調査…
毎年2月11日に花巻市で行なわれるのが『元祖!わんこそば全日本大会』。2020年で62回を数える歴史ある大会ゆえに、最近ではあえて元祖!を冠しているのです。花巻市文化会館大ホールを会場に、小学生の部(小学生3人1組)10…
陸奥国胆沢郡胆沢(現・岩手県奥州市)に9世紀初頭に築かれた古代城柵、胆沢城。平安時代に編纂された歴史書『日本紀略』には、802(延暦21)年1月9日に坂上田村麻呂が派遣されて築城されたと記されています。789(延暦8)年…
岩手山北東の山腹、標高1200m付近に残る溶岩流の跡が岩手山焼走り熔岩流。1732(享保17)年正月の大噴火の際、流れ出した溶岩が固まったもので、最大幅1km、長さ3km。片道約1kmの溶岩流観察路が整備され、岩手山の勇…