宝戒寺
北条氏最後の執権・北条高時(ほうじょう たかとき)が葛西ケ谷の東勝寺で自害した後、北条一族の霊を弔うため、建武2年(1335年)、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(発願は後醍醐天皇)によって建立されたのが宝戒寺(ほうかいじ)。…
北条氏最後の執権・北条高時(ほうじょう たかとき)が葛西ケ谷の東勝寺で自害した後、北条一族の霊を弔うため、建武2年(1335年)、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(発願は後醍醐天皇)によって建立されたのが宝戒寺(ほうかいじ)。…
鎌倉葛西ケ谷にある鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺で、関東十刹(かんとうじゅっさつ)に数えられた東勝寺の跡地。栄西の弟子の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が鎌倉幕府第3代執権・北条泰時(御成敗式目を制定したことで…
鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の名刹、瑞泉寺(ずいせんじ)。鎌倉末期の臨済宗の高僧、夢窓疎石(むそうそせき)が開山したと伝えられる寺で、鎌倉でも紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる風雅な谷戸(やと)に建ち、人気の寺になっ…
鎌倉、扇ガ谷(おうぎがやつ)にある真言宗泉涌寺派の寺、浄光明寺。源頼朝の天下統一を助けた文覚上人が、頼朝の命により建立した草庵がルーツと伝わりますが定かでありません。寺伝によれば、建長3年(1251年)、鎌倉幕府6代執権…
弘仁9年(818年)頃、空海が諸国遍歴の際に、夢告により不動明王を彫りお堂を建てたという伝承がある(ただし空海の東国布教は伝承の域を脱しない)古刹が鎌倉市今泉にある称名寺(しょうみょうじ)。本尊は阿弥陀如来で、今泉不動と…
日蓮が清澄寺を出て鎌倉を目ざし、建長5年(1253年)に開いた松葉ヶ谷(まつばがやつ)草庵跡と伝えられる寺が安国論寺。文応元年(1260年)、この地で日蓮は『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)を執筆したと伝えられ、境…
鎌倉に唯一残る尼寺が英勝寺。寛永13年(1636年)、徳川家康の側室、お勝の方(英勝院)が開いた寺で、お勝の方の祖先・太田道潅(おおたどうかん)の屋敷跡に建てられています。水戸徳川家の姫君が代々住職を務めたという名刹で、…
建長5年(1253年)、鎌倉幕府6代将軍・宗尊親王(むねたかしんのう=皇族で初の征夷大将軍)の命で藤原仲能(道知禅師)を願主にして鎌倉・扇ガ谷に建立された七堂伽藍の大寺が海蔵寺。鎌倉滅亡の際の兵火で焼失するも応永元年(1…
千葉縣南部的陸路交通其實說遠不遠,說近不近! 要前往,特別是西東京,橫濱,東海地方起程的話,可以乘坐神奈川南部久里浜港開出,由東京湾フェリー營運的しらはま丸!比起陸路自駕從三浦半島到館山,行程可由差不多2個小時大幅減到4…
鎌倉の葛原岡・大仏ハイキングコースの寄り道ポイントにもなっている神社が鎌倉市佐助にある佐助稲荷神社。鎌倉らしい谷戸の奥に鎮座し、赤い幟旗に彩られた数十の鳥居をくぐり、階段を登りつめると社殿というシチュエーションが写真映え…
前身は鎌倉幕府5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が永暦元年(1160年)に創建し閑居した最明寺。8代執権・北条時宗は蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を迎えて禅興寺として再興し、康暦2年(1380年)、鎌倉公方・足利氏…
Minami-Boso or Southern Chiba is one of these beautiful places in Japan where you can “Just about toR…
花の寺としても親しまれる鎌倉にある臨済宗円覚寺派の名刹、東慶寺は、弘安8年(1285年)、北条時宗(ほうじょうときむね)の妻・覚山志道尼(かくざんしどうに)が開山。明治35年までは松ヶ岡御所と呼ばれ、男子禁制の格式高い尼…
横浜港・新港地区のシンボリックな風景のひとつが、横浜赤レンガ倉庫。新港埠頭脇に、古めかしくも美しいかつての2棟の倉庫が連なっています。明治32年、新港埠頭建設により、物資の一時保管場所として建てられたのが始まりで正式名は…
生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこは…
日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナー…
汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和…
明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で…