第28回大岡川桜まつり|2020
2020年3月21日(土)~4月12日(日)=ボンボリ点灯、メインイベント4月4日(土)〜4月5日(日)、横浜市中区・南区で『第28回大岡川桜まつり』が開催されます。京浜急行線の黄金町駅〜日の出町駅間に沿った大岡川(太田…
2020年3月21日(土)~4月12日(日)=ボンボリ点灯、メインイベント4月4日(土)〜4月5日(日)、横浜市中区・南区で『第28回大岡川桜まつり』が開催されます。京浜急行線の黄金町駅〜日の出町駅間に沿った大岡川(太田…
2025年3月28日(金)~4月6日(日)、横浜市の三溪園で『桜ライトアップ』が開催されます。三溪園園内の桜が一斉に咲き誇るこの時期に合わせ、外苑では開園時間を延長(20:30まで入園可能、閉園は21:00)。旧燈明寺三…
三浦半島南端の島、城ヶ島の南側に広がるテラス状の岩礁地帯にある高さ8m、横6m、厚さ2mの海食洞が馬の背洞門。城ヶ島灯台や商店街のある島の西部から台地上に上がり、尾根沿いに洞門横に下るルート、海岸の岩畳の上を歩くルート(…
三浦半島の最南端、三崎港と城ヶ島大橋で結ばれる城ヶ島の西の高台に建つのが、城ヶ島灯台。日本で5番目に点灯した西洋式灯台で、初代の灯台は、フランス人技師ヴェルニーの設計で、明治3年初点灯。現在の灯台は昭和2年の再建で、灯高…
三浦半島の南端(神奈川県三浦市)、相模湾に突き出した岬が剱崎(つるぎざき)で、岩礁が連なる岬の高台には、剱埼灯台が建っています。灯台は幕末の慶応2年(1866年)、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ江…
小田原藩2代藩主・稲葉正則(いなばまさのり)は、寛文9年(1669年)、入生田(いりうだ)に菩提寺を移し、山寺号も「長興山紹太寺」と改めます。同時に父母と祖母・春日局(かすがのつぼね)の霊を弔って、「春を忘れぬ形見に」と…
2025年2月5日(水)〜3月2日(日)、神奈川県三浦市で『第21回三浦海岸桜まつり』が開催されます。京急三浦海岸駅から小松公園周辺まで線路沿いに約1000本の河津桜が植栽され、一足早く、河津桜と菜の花が咲き競います。桜…
2025年2月8日(土)〜3月2日(日)、神奈川県横須賀市で『第70回田浦梅林まつり』が開催。田浦梅林(田浦梅の里)は、昭和9年、皇太子殿下(後の平成天皇)のご生誕を記念して、地元有志により大六天神を中心として700本の…
2025年2月1日(土)〜3月9日(日)9:00〜16:00、神奈川県湯河原町で、『湯河原梅林梅の宴』が行なわれます。幕山山麓に4000本の梅の花が咲く湯河原梅林での『梅の宴』。湯河原梅林は散策に絶好で、地元カメラマンに…
2025年2月1日(土)〜2月24日(月・振替休)、神奈川県小田原市で『第55回小田原梅まつり』が行なわれます。小田原というと梅干しが有名ですが、その梅は地元・曽我産。2月上旬には曽我丘陵(国府津から下曽我地区)に3万5…
開創は奈良時代の天平8年(736年)と伝えられる鎌倉の古刹長谷寺。毎年1月1日夕刻、前年、願いが書かれ奉納された祈願ろうそく5000個以上を上境内に灯す『万灯祈願会』が開かれます。大晦日23:00に開門される際にはろうそ…
横浜市中区、本牧ふ頭(ほんもくふとう)のD突堤先端に建つ、高さ48mの灯台(正しくは船舶通航信号所)が横浜港シンボルタワー。近代的なデザインの白亜の塔は、本牧のシンボル的存在になっています。横浜港と東京湾との境に位置し、…
首都高速湾岸線、国道357号の本牧ふ頭A突堤(横浜市中区)から大黒ふ頭(鶴見区)に架かる全長860mのトラス斜張橋(吊橋)、横浜ベイブリッジ。平成元年9月27日に開通、塔高172m、ダブルデッキ形式の優美なプロポーション…
横浜開港100年を記念して昭和36年に建設された、港町・横浜のシンボル、横浜マリンタワー。建設当時は灯台の役目も担い、地上106mの世界一高い灯台として、ギネスブックにも登録。開港150周年を記念して平成21年にリニュー…
外国人旅行者にも人気の国際観光地・箱根。晴れて富士山が見えたなら、富士山と芦ノ湖という定番のアングルも期待できますが、富士山が見えない場合には、方針を変えて、芦ノ湖のシンボル的存在の海賊船を効果的にフレームイン!
鎌倉七口の一つに数えられるのが名越切通(なごえきりどおし)で、幕府のあった鎌倉と三浦半島側(逗子市小坪)を結ぶ街道の切通し。鎌倉時代編纂の歴史書『吾妻鏡』にも名越坂という名で登場する、鎌倉に入る歴史ある道です。現在は神奈…
明治37年4月1日に開業した江ノ島電鉄の駅が極楽寺駅。駅名は近くの極楽寺、極楽寺坂切通に由来します。明治40年に江之島電氣鐵道の極楽寺隧道が完成し、明治40年8月16日、極楽寺から鎌倉町の大町(現在廃止)まで延伸していま…
鎌倉七口のうちもっとも由比ヶ浜寄りにあるのが極楽寺坂切通。鎌倉時代に鎌倉七口の呼称はなく、江戸時代初期からの呼び名。それでも極楽寺坂切通は、元弘3年(1333年)、新田義貞鎌倉侵攻の際の激戦地のひとつになっています。極楽…