蓮華王院(三十三間堂)・太閤塀
京都府京都市東山区にある三十三間堂で知られる蓮華王院。豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀は、太閤塀と通称され(実は秀頼の寄進ですが)、国の重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建される際、蓮華王院を隔てるた…
京都府京都市東山区にある三十三間堂で知られる蓮華王院。豊臣秀吉(太閤)によって寄進された築地塀は、太閤塀と通称され(実は秀頼の寄進ですが)、国の重要文化財に指定されています。方広寺大仏殿が創建される際、蓮華王院を隔てるた…
京都市北区上賀茂本山に鎮座する平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の式内社が大田神社(おおたじんじゃ)。上賀茂神社(賀茂別雷神社)の東500mにあり、現在は上賀茂神社の境外摂社のひとつですが、参道脇のカキツバタ群落は、「大…
京都府福知山市大江町内宮にある古社で、元伊勢伝承地となるのが元伊勢内宮皇大神社。神宮(伊勢神宮)の祭神・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)が伊勢に鎮座する以前、大和国の宮中から諸国を転々としたとされていますが、その遷座…
京都市舞鶴市、明治37年に完成したレンガ造りのトンネルが北吸隧道(きたすいずいどう)。舞鶴を代表する赤れんが建造物のひとつで、官設舞鶴線と同時期に海軍施設への海軍引込線に設けられた鉄道用の隧道(トンネル)。昭和47年に廃…
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画で現社地に遷座した錦天満宮(京都市中京区)。錦の水は、錦天満宮境内に地下35mから湧き出す霊水。京の名水の一つに数えられ、周辺の飲食店関係者を中心に水を汲みに来る人が絶えません…
京都市下京区にある、小野小町が化粧に使ったと伝わる井戸の跡が化粧水(けしょうのみず)。平安京の昔、西洞院通は「西洞院大路」(にしのとういんおおじ)といって、幅8丈(24m)という大きな通りでした。四条西洞院南東角には小野…
京都を流れる鴨川に5ヶ所、支流の高野川に1ヶ所ある飛び石橋のひとつで、賀茂大橋のすぐ上流、鴨川デルタと呼ばれる加茂川・高野川合流点に位置するのが出町の飛び石。叡山電鉄・京阪電気鉄道の出町柳駅前にあるので、最も有名な飛び石…
京都を流れる鴨川に5ヶ所、支流の高野川(たかのがわ)の支流に1ヶ所ある飛び石橋のひとつで、高野川の高野橋下流側、蓼倉橋との間に位置するのが高野川の飛び石。すぐ東側にショッピングセンターの洛北阪急スクエアがあるので、生活道…
京都を流れる鴨川に5ヶ所、支流の高野川に1ヶ所ある飛び石橋のひとつで、鴨川上流に位置するのが荒神の飛び石。地元の人は橋を使わずにこの飛び石を利用する人も多く、生活道路となっています。亀の形をした石がもっとも多く配されてい…
京都市街を流れる鴨川には多くの橋が架かっていますが、地元の人が気軽に利用できる飛び石も配されています。出町柳の下鴨神社から下流が鴨川で、本流に5ヶ所、支流の高野川に1ヶ所の飛び石が配されています。その最下流に位置するのが…
京都市上京区にある天台宗延暦寺派の寺・護浄院(ごじょういん)、通称・清荒神(きよしこうじん)の境内の湧水が無垢の井(むくのい)。手水舎に湧き出るその水は、あまり知られていませんが京の三名水の一つに挙げられている梨木神社の…
京都市上京区にある天台宗の寺、護浄院。正式名は護浄院ですが、京の七口のひとつ、荒神口の名の起こりとなった清荒神(きよしこうじん)で有名。本堂前に鳥居があるのは、神仏習合時代の名残りです。江戸時代以降、歴代天皇に国家安寧・…
京都市上京区、梨木神社(なしのきじんじゃ)境内に湧く水で「県井」(あがたい)、「醒ヶ井」(さめがい)と並び京都の三名水の一つに数えられるのが染井の水。三名水のうちで、現在飲用できるのはこの染井の水だけ。この井戸は、かつて…
京都市上京区にある幕末から明治維新に活躍した三条実万(三條實萬/さんじょうさねつむ)と三条実美(三條實美/さんじょうさねとみ)を祀る神社が梨木神社(なしのきじんじゃ)。三條家邸跡に隣接する地に明治18年に創建。聡明な三条…
慶長19年(1614年)に高瀬川の掘削に成功し、高瀬川舟運を管理した京の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が築いた庭園。高瀬川の鴨川からの取水口にあたる場所に建てられた別邸内にあったもので、明治初期に元勲・山県有朋の所…
長州藩士の桂小五郎(かつらこごろう/維新の三傑のひとり)は、明治維新を迎え、36歳以降は木戸孝允(きどたかよし)と名乗っています。その木戸孝允が構えた京都の邸宅跡は今の京都市職員厚生会「職員会館かもがわ」の一帯。長州藩士…
京と伏見を結ぶ舟運を目的に私財を投じて高瀬川を開削した角倉了以(すみのくらりょうい)。その角倉了以邸跡の碑は、高瀬川の起点である高瀬川一之船入(京都市中京区一之舟入町)に立っています。開削後に高瀬川の管理者となった角倉氏…
明治の初め、高瀬川一之船入周辺は大阪を京を結ぶ高瀬舟の終着地として賑わっていました。二条通りを隔てた東北側には、明治3年、工業試験場である京都舎密局が設立。明治8年、島津製作所の創業者である初代の島津源蔵は、この地を選ん…