四日市市消防出初式|2024
2024年1月14日(日)9:00〜11:40、三重県四日市市の四日市ドームとその周辺で『四日市市消防出初式』が行なわれます。ドーム東通路・東運河で防災ヘリも参加する陸上・海上大隊の分列行進の後、四日市ドーム内で式典、ア…
2024年1月14日(日)9:00〜11:40、三重県四日市市の四日市ドームとその周辺で『四日市市消防出初式』が行なわれます。ドーム東通路・東運河で防災ヘリも参加する陸上・海上大隊の分列行進の後、四日市ドーム内で式典、ア…
三重県津市一身田町にある真宗高田派の本山。嘉禄元年(1225年)、親鸞の活動場所であった下野国(栃木県)に専修念仏の根本道場(如来堂)を開いたのが始まり。それが現在の本寺の専修寺=栃木県真岡市高田)で、戦国時代に火災で焼…
熊野市甫母町にある楯ヶ崎(たてがさき)は、高さ80m、周囲は550mにも及ぶ柱状節理の大岩。遠くから見ると半円形の島のように見える岩塊です。見学は熊野海上観光遊覧サービスの楯ヶ崎観光遊覧船に乗るか、遊歩道を歩くか。船は所…
熊野灘に面して三重県熊野市の鬼ヶ城から御浜町を経て、和歌山県境を流れる熊野川河口(紀宝町)まで3市町7里に渡って続く、小石と砂からなる長大な海浜が七里御浜(しちりみはま)。日本で一番長い砂礫(玉砂利)海岸は、吉野熊野国立…
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された熊野市の海岸にある奇岩が獅子巖(獅子岩)。海岸から熊野灘に向かって咆える獅子のように見える、高さ25m、周囲210mの奇岩で、古来から海岸沿いに熊野権現を目指した熊野詣…
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された熊野市の海岸にある奇勝、鬼ヶ城。数回に渡る地震による隆起と激しい波による侵食によって大小無数の洞窟や奇岩ができた、東西約1.2kmにわたる石英粗面岩の大岩壁です。その荒…
三重県伊賀市の伊賀上野城下、伊勢街道と奈良街道の分岐点に位置する公園が鍵屋の辻史跡公園。寛永11年11月7日(1634年12月26日)に行なわれた日本三大仇討ち(曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入り)の一つ、渡辺数馬、荒…
真珠の養殖筏が浮かぶ英虞湾(あごわん)は志摩でも最も複雑な入江と60の島々を持つ湾で、「志摩のエーゲ海」とも呼ばれている。リアス式海岸の多島美で知られ、真珠養殖の筏(いかだ)が浮かぶ英虞湾を一望に収めるのが三重県志摩市阿…
天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で、諸国に建設された国分寺(国分僧寺=正式名は金光明四天王護国之寺)のうち、伊勢国(現在の三重県)に築かれた国分寺の跡が伊勢国分寺跡。三重県鈴鹿市国分町の鈴鹿川左岸の段丘…
現在の三重県の伊賀地方、志摩地方を除く大部分が伊勢国(いせのくに)。現在の県庁所在地にあたる国府があったのが鈴鹿市。鈴鹿川中流北側の河岸段丘上にある長者屋敷遺跡と呼ばれる場所からは、古代の瓦などが大量に出土し、発掘調査か…
奈良時代に編纂された歴史書の『日本書紀』、『古事記』には日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国遠征の帰路、伊吹山(岐阜県)で病となり、大和国(現:奈良県)へ向かう途中、能褒野(のぼの)で亡くなり、陵墓が築かれたとあります…
三重県亀山市にある能褒野古墳群(16基の円墳と能褒野王塚古墳)を構成する古墳のひとつが能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)。宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定される古…
三重県鈴鹿市にある全長92m、後円部の直径64m、前方部の高さ15.5mと、三重県下最大の帆立貝式古墳が白鳥塚古墳。伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身で『古事記伝』の著者でもある本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(…
昭和57年8月25日にリリースされたのが演歌歌手・鳥羽一郎のデビューシングルで、オリコンチャート上では約29万枚の売上を記録した『兄弟船』。鳥羽一郎の代表曲ともなったこの『兄弟船』歌碑がパールロード途中の鳥羽展望台(三重…
昭和6年3月17日に参宮急行電鉄線(後に近鉄に吸収)の終着駅、伊勢神宮の玄関駅として建設された宇治山田駅は、私鉄の駅舎としては有数のクラシックさと豪華さで、国の登録有形文化財の指定を受けています。3階建て、間口120mと…
内宮宇治橋から約800mにわたり伊勢独特の切妻入りの建物が建ち並んでいますが、これがおはらい町。かつての参宮街道の一部で、付近には明治の初めまで、伊勢参りの人々をもてなす御師の家(おんしのいえ)が建ち並んでいました。神宮…
太くて、少し柔らかめのうどんに、たまりベースのタレをかける、これが伊勢うどんの概略。大正12年創業の「まめや」は、4代目豆谷清好(まめやきよし)さんとその母・好子さんが、家族で切り盛りする伊勢うどんの名店。自家製麺の麺は…
江戸や大坂など、伊勢を目ざす長旅の人をもてなしたのが、伊勢の鰻。関東、関西の両方の旅人を納得させるために東西融合の独特の料理法を編み出したのだという。それを今に伝えるのが外宮前の「喜多や」です。使ううなぎは地元産というわ…