道の駅フェニックス
昭和40年代の新婚旅行ブームで注目された日南海岸。フェニックスドライブインとして人気を博した場所が、平成17年に道の駅フェニックスに。景勝地として有名な堀切峠の南1kmの県道377号沿いに位置おり、展望デッキからは絶景も…
昭和40年代の新婚旅行ブームで注目された日南海岸。フェニックスドライブインとして人気を博した場所が、平成17年に道の駅フェニックスに。景勝地として有名な堀切峠の南1kmの県道377号沿いに位置おり、展望デッキからは絶景も…
青島の南に位置し、日向灘を一望できる景勝地。昭和40年代にフェニックスハネムーンとして新婚旅行で賑わった宮崎ですが、「日南フェニックスロード」途中の絶景ポイント、堀切峠は青島とともに人気の場所。道路沿いに植栽されたフェニ…
佐土原城・二の丸跡に建つのが佐土原城跡歴史資料館「鶴松館」で、館名の「鶴松」は佐土原城の別称。二の丸御殿を復元した館内は、寛永年間の城址をもとに推定復元されたもので、書院、数奇屋(土人形の館)、大広間の3棟からなり、書院…
1603(慶長8)年、高橋元種により、近代的な銃や大砲からの攻撃に耐えるよう五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれた丘に建てられたのが盛岡城で、現在、延岡城跡が城山公園として整備されています。建物は明治4年の破城令により、ほとんどの建…
昭和53年、飫肥(おび)城の大手門の再現とともに設置されたのが飫肥城歴史資料館。飫肥城は、1587(天正15)年に豊臣秀吉に仕えた伊東祐兵(いとうすけたけ)が九州征伐の戦で戦功を認められて賜った城。明治4年の廃藩置県まで…
難攻不落の名城として全国にその名を轟かせた日南市の飫肥城(おびじょう)。すべての城郭建築は残念ながら明治6年に取り壊されてしまっていますが、石垣だけは当時のまま現存し、銃弾跡が残されています。その石垣に合わせて昭和53年…
飫肥院の跡とも伝わる飫肥城(おびじょう)はいつ頃の築城は定かではないが、1587(天正15)年に豊臣秀吉に仕えた伊東祐兵(いとうすけたけ)が九州征伐の戦で戦功を認められ秀吉から賜り、以降280年あまり飫肥藩伊東氏5万10…
西都市街地の西、松本原と呼ばれている台地の南側の田んぼのなかにある古墳が松本塚古墳。前方後円墳の松本塚古墳を中心にして数基の古墳(県指定三納古墳群)が点在し、松本古墳群と呼ばれています。松本塚古墳は、墳長104mで、周堀…
日向国分寺跡(ひゅうがこくぶんじあと)の金堂のあった地の東に建つのが木喰五智館(もくじきごちかん)。江戸時代、遊行僧の木喰(もくじき)は日向を旅した際に、この地の住人に請われて7年間寺住し、日向国分寺の再興に尽力していま…
都濃町にある大己貴命(おおなむちのみこと=大国主神の若い頃の名前)を祭神として祀り、神武天皇が東征の際に立ち寄り、国土平安、海上平穏、賊徒征伐を祈願したと伝えられる古社が都農神社(つのじんじゃ)。日向国(ひゅうがのくに)…
西都市にある古社、都萬神社(つまじんじゃ)は、日向国総社(ひゅうがのくにそうじゃ)で、二之宮。都萬(つま)とは、祭神の木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が瓊々杵尊(ににぎのみこと)の妻であることを現しています。木…
聖武天皇は、741(天平13)年、仏教によって国家の理想を実現するという鎮護国家の方針から、全国に国分寺(金光明四天王護国寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)を建立しています。宮崎県立妻高等学校敷地一帯が日向国分尼寺跡です。校…
西都市を流れる一ツ瀬川が形成した河岸段丘上に位置する7世紀末〜10世紀前半の官衙遺跡(かんがいせき)。日向国分寺跡、国分尼寺跡や特別史跡「西都原古墳群」の点在する一角に、古代の日向国(ひゅうがのくに)の国府、国庁があった…
741(天平13)年、聖武天皇の詔によって全国に造られた国分寺(国分僧寺)のひとつ日向国(ひゅうがこく)の国分寺の跡。正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)で、広さは4haにも及び、往時には…
風化した花崗岩が露出するのが山名の由来となった延岡市に聳える大崩山(おおくえやま)。標高は1643.4mで、東側の標高1300mあたりが花崗岩の大岩壁となっています。山の東側には祝子川渓谷があり、周辺は祖母傾国定公園、森…
延岡市街の南に聳える標高251.2mのピーク。頂上近くにある愛宕山展望台からは、延岡市街を眼下に、晴れていれば日向灘や四国の山並みまで眺望できます。北麓の愛宕神社から山上へと車道が通じており、夜景のスポットにもなっていま…
天岩戸神社近くにある日向神話の地。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(洞窟)にこもった際に、八百萬神(やおよろづのかみ)が集い神議をしたといわれるのが天安河原(あまのやすかわら)。天岩戸神社西本宮から岩戸川沿いの遊…
天照大神の命で天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原から高千穂に降臨した際、この地上には水がなく、瓊々杵尊は再び高天原に戻り、天真名井(あめのまない)の水種を高千穂、出雲、伊勢に移したという神話が伝わっています。高千穂の…