鉄道発祥の地碑
長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みなとメディカルセンター前に立つのが、鉄道発祥の地碑(我が国鉄道発祥の地碑)。新橋〜横浜間の鉄道開業は、明治5年9月12日(1872年10月14日)のことですが、長崎では元治…
長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みなとメディカルセンター前に立つのが、鉄道発祥の地碑(我が国鉄道発祥の地碑)。新橋〜横浜間の鉄道開業は、明治5年9月12日(1872年10月14日)のことですが、長崎では元治…
長崎県長崎市南山手町、グラバー園内、グラバー住宅の背後にある旧自由亭横に立つのが、西洋料理発祥の碑。全国のコックで組織される全日本司厨士協会が、発祥の地を調査した結果、文久3年(1863年)、長崎に開店した西洋料理店「良…
長崎県長崎市松が枝町、ちゃんぽんの発祥地「四海楼」の前に立つのが、ボウリング発祥の地碑(わが国ボウリング発祥の地碑)。記録に残る限りでは、元治元年(1864年)の横浜、明治2年の神戸に先駆け、文久元年(1861年)、長崎…
長崎県平戸市大野町、平戸島の高台にある30haもの草原が川内峠(かわちとうげ)。東に九十九島、北に玄海灘、遠く壱岐・対馬を眺望する川内峠展望台があり、平戸屈指のビューポイントになっています。防火と家畜用の牧草の育成、草原…
長崎県長崎市小菅町にある国の史跡が、小菅修船場跡(こすげしゅうせんばあと) 。「ソロバンドック」と称された日本の造船所発祥の地で、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっ…
長崎県東彼杵郡波佐見町、長崎県道1号(佐世保嬉野線)沿いを流れる川棚川に架る「石造り双円アーチ橋」が稗ノ尾の眼鏡橋(ひのおのめがねばし)。明治41年築の石造アーチ橋が下流400mの小樽郷に移築保存され、一帯が稗ノ尾河川公…
長崎県東彼杵郡波佐見町にある窯室数33、全長160m以上という世界最大級の登窯の跡が、中尾上登窯跡(なかおうわのぼりかまあと)。白岳山麓にあって白岳窯とも称した登窯で、青磁・3本足付香焚・青磁山水・染付茶碗・蛇の目重ね茶…
長崎県長崎市を流れる中島川に架かる橋が、出島橋。長崎市道江戸町千馬線の橋で、明治23年に中島川の河口に架設された新川口橋が、明治43年に現在地に移設されたもので、現存する道路橋のなかでは最古の橋。土木学会選奨土木遺産に認…
長崎県長崎市、「1000万ドルの夜景」といわれる稲佐山への足として令和2年2月に運行が開始されたのが長崎稲佐山スロープカー。稲佐山中腹駐車場と山頂を結ぶ斜面走行モノレール(跨座式モノレール)で、稲佐山の木々が映り込むよ…
長崎県佐世保市立神町にある国の登録有形文化財に指定される巨大なジャイアント・カンチレバー・クレーン(ハンマーヘッドクレーン)が佐世保重工業250トン起重機。戦前、佐世保海軍工廠にあったもので、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉…
長崎県長崎市飽の浦町の三菱長崎造船所内にある明治42年の巨大なクレーンがジャイアント・カンチレバークレーン(アップルビー社製のハンマーヘッドクレーン、国の登録有形文化財)。第三船渠、占勝閣とともに世界文化遺産「明治日…
長崎県対馬市にある対馬国一之宮が海神神社(かいじんじんじゃ)。社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、新羅(しらぎ)征服の証に旗八流をを納めたことに由来するという古社。韓国の窃盗団による盗難事件のあった銅造如来立像(…
佐賀県唐津市呼子町にある江戸時代中期から明治10年にかけて、代々「甚六」の名を襲名しながら8代、170年間にわたって沿岸捕鯨の鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷が鯨組主中尾家屋敷。『小川島鯨鯢合戦』に描かれた主屋は…
長崎県壱岐市勝本町にある戸時代の壱岐の古民家が復元された歴史体感ミュージアムが壱岐風土記の丘。郷ノ浦港から国道382号を勝本方面へ車を走らせていると、古い民家が点在しているところがあり、これが壱岐風土記の丘。敷地内にある…
長崎県壱岐市勝本町城内にある、元寇の際、元軍と日本軍と激闘を展開した古戦場が文永の役新城古戦場(ぶんえいのえきしんじょうこせんじょう=新城の千人塚)。壱岐島は、博多とともに元軍との激しい戦闘が展開した地で、とくに文永11…
長崎県壱岐市郷ノ浦町、郷ノ浦港のすぐ西、本居浦八幡崎にある江戸時代に起きた海難事故の供養塔が春一番の供養塔。安政6年2月13日(1859年3月17日)、本居浦から4人〜5人乗りの漁船7艘が喜三郎曽根(きさぶろうそね)に出…
長崎県壱岐市芦辺町、古代の壱岐国の中心地だったと推測できる国分本村にある直系10m〜20mの円墳8基で構成される古墳群が百田頭古墳群(ひゃくたがしらこふんぐん)。鬼の窟古墳、兵瀬古墳など壱岐島内の最大規模の円墳が集中する…
長崎県壱岐市勝本町にある中世の山城(国の史跡)が勝本城。天正19年(1591年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し、兵站基地として松浦鎮信(まつらしげのぶ)に命じて築いた城で、豊臣秀吉の死後、破却され、現在は城…