忍野八海・湧池
山中湖(山梨県山中湖村)と河口湖(富士河口湖町)に挟まれた忍野村にある湧水群が忍野八海(おしのはっかい)。その中心部に位置するのが湧池です。かつては宇津湖という湖の湖底にあった湧水で、江戸時代には富士講の禊の場(行場)に…
山中湖(山梨県山中湖村)と河口湖(富士河口湖町)に挟まれた忍野村にある湧水群が忍野八海(おしのはっかい)。その中心部に位置するのが湧池です。かつては宇津湖という湖の湖底にあった湧水で、江戸時代には富士講の禊の場(行場)に…
山梨県南都留郡忍野村(おしのむら)、富士山の北麓に湧く湧水池の総称が忍野八海(おしのはっかい)。富士山の雪や雨が溶岩の間で長い年月をかけて濾過され、湧出するもの。世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に…
かつて北海道でバイクツーリングが全盛だった80年代、冒険心あふれる旅人たちが目指したのが北海道三大秘湖。定番の観光客があふれる湖では飽き足らず、人気(ひとけ)の少ない湖が「三大秘湖」と称して注目を集めたのです。それが阿寒…
北海道上士幌町、然別湖(しかりべつこ)近くにある周囲0.8km、標高810mの小さな湖が東雲湖(しののめこ)。オコタンペ湖(支笏洞爺国立公園)、オンネトー(阿寒国立公園)とともに「北海道三大秘湖」にも数えられる神秘的な湖…
東京都青梅市御岳を流れる多摩川の渓谷が御岳渓谷(みたけけいこく)。渓谷の北岸をJR青梅線、国道411号が走り、南岸に都道201号(十里木御嶽停車場線)・都道45号(奥多摩青梅線)が走っています。渓谷の中心がJR御嶽駅と駅…
東京都国分寺市にある武蔵野台地の縁(へり)、国分寺崖線(こくぶんじがいせん)沿い湧くのが真姿の池湧水群(ますがたのいけゆうすいぐん)。徳川御三家筆頭・尾張藩の鷹狩場になっていたことから、湧水から流れ出る用水沿いにお鷹の道…
東京都青梅市、御岳渓谷沿いに伸びる渓谷の探勝歩道が御岳渓谷遊歩道。JR青梅線軍畑駅入口信号から青梅街道を沢井駅方面に400mほど歩いた遊歩道入口(階段)から奥多摩フィッシングセンターまでの多摩川沿いに遊歩道が築かれていま…
神奈川県箱根町を流れる早川渓谷に架かる高さ43m、長さ60.96mの鉄橋が出山の鉄橋。正式名は箱根登山鉄道の早川橋梁で、塔ノ沢駅~出山信号所間、早川を渡る部分に大正6年5月31日に竣工。塔ノ沢~太平台間を箱根登山鉄道に乗…
大分県大分市、関さば、関あじのふるさとして知られる豊後水道が目の前に広がる、佐賀関半島の突端に位置する岬が、関崎(せきざき)。県内最古の灯台である、明治34年7月20日点灯の関埼灯台、豊後水道に浮かぶ島々、行き交う船など…
大分県大分市今市、江戸時代に加藤清正によって開かれた、豊後国鶴崎と肥後国熊本を結ぶ肥後往還にあたる石畳の道が今市石畳道。現在その一部である全長660m、幅2.1mの石畳が残されていますが、この石畳を生かす形で、幅8.5m…
大分県日出町(ひじまち)、JR日豊本線暘谷駅(ようこくえき)から徒歩5分の地にある、曹洞宗(そうとうしゅう)の古刹、松屋寺(しょうおくじ)。もとは奈良時代の養老年間に、天台宗六郷満山寺(ろくごうまんざんじ=国東半島一帯に…
大分県由布市、黒岳(1390m)北麓、標高860m地点に湧くのが男池湧水群(おいけゆうすいぐん)。湧水量は1日2万トンと豊富で、水温も年間通じて平均12.6度と一定。阿蘇野川の源流ともなる湧水は、黒岳の伏流水が湧出するも…
大分県日出町(ひじまち)にある人間魚雷「回天」大神訓練基地跡に建つのが回天神社(住吉神社)。太平洋戦争の末期に考案された人間魚雷「回天」。人が一人しか入れない魚雷艇で、敵艦に船もろとも突撃して玉砕するという、いわゆる海軍…
大分県日出町(ひじまち)、北側から別府湾に突き出した南端の台地に築かれた平山城が日出城(ひじじょう)。慶長7年(1602年)、初代藩主・木下延俊(きのしたのぶとし)が築いたもので、3代藩主・木下俊長が中国古書『淮南子』よ…
埼玉県大里郡寄居町を流れる風布川(ふうっぷがわ)とその源流となるのが日本水(やまとみず)で、風布川・日本水として環境省の名水百選に選定されています。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、この地で戦勝を祈願し、剣を岩…
神奈川県秦野市(はだのし)にある秦野盆地湧水群は、環境省選定の名水百選のひとつ。湧水群のなかでも、とくに有名で、アプローチも手軽なのが秦野駅近くにある弘法の清水。弘法の清水 は、空海(弘法大師)が杖を突き刺した先から湧い…
北海道釧路町、釧路湿原の東端、釧路湿原の展望台のなかで、人気ナンバーワンの細岡展望台近くにある釧路湿原国立公園ビジターセンターが細岡ビジターズラウンジ。ウッディーな建物のなかでは、パネルなどを使い、湿原の成り立ちをわかり…
北海道増毛町(ましけちょう)にある、江戸時代中期の津軽藩による蝦夷地警備の陣屋跡が津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡。文化4年(1807年)、徳川幕府はロシアの南下政策に対抗するため仙台、会津、南部、秋田、庄内の各藩に蝦夷地警備を…