江の島・稚児ヶ淵
江戸時代には江の島詣で賑わった江の島西端、江の島岩屋周辺にある岩棚の海岸にある淵が稚児ヶ淵(ちごがふち)。建長寺広徳院の自久(自休)和尚に見初められた相承院(鶴岡八幡宮の僧坊・鶴岡二十五坊のひとつ、頓覚坊)の稚児・白菊が…
江戸時代には江の島詣で賑わった江の島西端、江の島岩屋周辺にある岩棚の海岸にある淵が稚児ヶ淵(ちごがふち)。建長寺広徳院の自久(自休)和尚に見初められた相承院(鶴岡八幡宮の僧坊・鶴岡二十五坊のひとつ、頓覚坊)の稚児・白菊が…
神奈川県藤沢市にある江戸時代には江の島詣(江島詣)で賑わった江の島。その江の島の最奥、稚児ヶ淵(ちごがふち)から海上に造られたコンクリート製の桟道を進んだ先にあるのが、江の島岩屋。役(えん)の行者が開き、空海(弘法大師)…
江戸時代には箱根権現(現・箱根神社)に詣でる箱根詣、丹沢大山の石尊権現に参詣の大山詣(現・大山寺、大山阿夫利神社)と並んで参詣者の多かったのが江の島の「裸弁財天」を拝む江島詣。その江島詣を今に伝える古社が、江の島島内に鎮…
江戸時代に東叡山寛永寺のある上野の山の麓、坂本(寛永寺は天海大僧正が京に見立てて創建のため、比叡山延暦寺山麓・坂本に真似た名前)として発展したため、名刹が数多いのが特徴。昭和52年正月から7社寺揃っての御開帳が始まったも…
東京都台東区下谷にある浄土宗の寺、英信寺。慶長年間(1596年〜1615)の開山で、下谷七福神のひとつ三面大黒天が祀られています。三面大黒天は大黒天を正面に、左に毘沙門天で、右に弁財天が刻まれた三面大黒天は空海の作とも。…
東京都台東区竜泉にある曹洞宗の禅寺、弁天院。弁天院は院号で、山号は朝日山。つまりは朝日山弁天院が正式名です。常陸下館藩主・水谷勝隆(みずのやかつたか)が寛永寺・不忍池辯天堂を創建する際、自身の江戸下屋敷にも竹生島(ちくぶ…
東京都台東区三ノ輪にある浄土宗の寺、寿永寺。江戸時代初期の寛永7年(1630年)、2代将軍・徳川秀忠の正室・お江(おごう)に仕えた尼僧・得生院寿永法尼が、徳川秀忠の菩提を葬うために創建。下谷七福神の布袋尊を祀っています。
東京都台東区にある「飛行護」(ひこうまもり)などのユニークなお守り、航空安全・飛行安泰・旅行安泰祈願でも知られる天台宗の寺が飛不動尊正宝院。室町時代の享禄3年(1530年)、本山派(聖護院を本寺に熊野三山を拠点にした天台…
東京都台東区下谷にある法華宗本門流(日蓮を宗祖とし、日隆を派祖とする)の寺が日照山法昌寺。『下谷七福神』の毘沙門天(びしゃもんてん)を祀っています。『新編武蔵風土記稿』によれば江戸時代初期の慶安元年(1648年)、下谷御…
新宿から牛込、神楽坂界隈の7つの社寺を結ぶ、開運の参詣ルートが新宿山ノ手七福神。谷中七福神に比べるとロングコースですが、徒歩で回ることが可能。神楽坂上の善國寺(毘沙門天)をスタートして西に、あるいは新宿御苑に近い太宗寺(…
東京でもっとも歴史がある七福神めぐりが『谷中七福神』(やなかしちふくじん)。JR田端駅から上野駅にかけて、7つの寺を歩いて巡礼する手軽な新春開運の散策ルートになっています。七福神めぐりは、社寺が混ざることも多いのですが、…
江戸時代半ばから、瀬戸内海を隔てた讃岐(さぬき/香川県)の「こんぴらさん」と通称される金毘羅大権現と備前(岡山県)・倉敷の厄除けで名高い由加山(ゆがさん)の瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)両方を参詣するのがブームとなりまし…
岡山県倉敷市児島の由加山山中にある古社が由加神社本宮。磐座信仰(巨岩がご神体)をルーツに、神仏習合時代に瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)として祀られていたもので、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で由加山蓮台寺と分かれています。…
岡山県倉敷市児島、由加山(ゆがさん)の山上にある、真言宗御室派の寺が、由加山蓮台寺。山号は瑜伽山(ゆがさん)。奈良時代、聖武天皇(しょうむてんのう)の発願により行基が開山、阿弥陀如来と薬師如来を瑜伽大権現(ゆがだいごんげ…
室町時代に京の都で始まったという、日本最古の七福神めぐりが『都七福神まいり』。京都市の南、宇治市にある黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)から北は洛北の赤山禅院(せきざんぜんいん)まで、7社寺を巡ります。『都七福神まい…
和歌山市内にある日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)、竈山神社(かまやまじんじゃ)、伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)の三社を巡るもの。三社を結ぶ道は古くからの巡礼の道で、和歌山電鐵貴志川線もこの三社…
和歌山県和歌山市にある神武天皇の長兄・彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を祀る神社が竈山神社(かまやまじんじゃ)。境外摂社の静火神社(しずひじんじゃ)も、竈山神社と同様に平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の式内社です。彦五瀬…
和歌山県和歌山市にある古社、伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)。社伝によれば、垂仁天皇16年、日前神宮・國懸神宮が遷座したため、社地を明け渡したといい、和銅6年(713年)、現在地に遷座しています。『続日本紀』の文武天皇大…