大谷寺(大谷観音)
旧帝国ホテルやカトリック松が峰教会などに使われた大谷石の採石場で知られる石の郷、栃木県宇都宮市大谷町にあり、弘仁2年(811年)に、空海(弘法大師)によって開かれたと伝わる古刹が大谷寺(大谷観音)。本堂は大谷石の奇岩にす…
旧帝国ホテルやカトリック松が峰教会などに使われた大谷石の採石場で知られる石の郷、栃木県宇都宮市大谷町にあり、弘仁2年(811年)に、空海(弘法大師)によって開かれたと伝わる古刹が大谷寺(大谷観音)。本堂は大谷石の奇岩にす…
第2次世界大戦の戦没者の慰霊と世界平和を祈って、栃木県宇都宮市大谷町に大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた観音像が平和観音。昭和29年に完成し、昭和31年5月4日に開眼。像高88尺8寸8分(26.93m)、胴…
日光山内から紅葉の名所としても名高いいろは坂を経て、中禅寺湖、奥日光、さらに国道で第3位という標高を誇る金精峠を越えて、群馬県沼田市に至る国道120号。日光でも最初に紅葉が始まるという竜頭の滝(りゅうずのたき)も沿線にあ…
日光と塩原を結ぶという山岳観光道路が栃木県道路公社が管理運営する日塩もみじライン(日塩有料道路)。鬼怒川温泉(日光市)からスキー場、八郎ヶ原放牧場などを横目に塩原温泉・中塩原(那須塩原市)まで27.5kmの有料道路です。…
那須湯本温泉と那須岳山麓・那須ロープウェイを結ぶ栃木県道17号那須高原線。平成21年に無料化されるまでは那須高原有料道路(ボルケーノハイウェイ)でした。途中には火山ガスがたえず噴出する殺生石、那須高原展望台などの景勝地が…
東武鬼怒川線鬼怒川温泉駅(栃木県日光市)から約5分の場所からスタートする鬼怒川ライン下り。鬼怒川大瀞までの全長6kmを40分かけて和船で下る風流な船旅です。遠くから眺めると船はゆったりと進んでいるように見えますが、激しい…
国道121号沿いの護国神社のそばに鬼怒川温泉ロープウェイの鬼怒川温泉山麓駅があり、ここからゴンドラに揺られ3分半で丸山山頂駅に到着。標高852mの丸山山頂へ向かう登山道の途中で本当の山頂とは異なりますが、展望台からの景色…
日光連山のひとつ赤薙山(標高2010.5m)の東南斜面に広がる霧降高原は3月下旬のマンサク、5月のヤマツツジ、初夏のニッコウキスゲの花で知られ、開花時期には大勢の観光客が訪れるエリアとなっています。キスゲ平は、遊歩道と天…
栃木県日光市、日光連山のひとつ女峰山(2483m)から派生する赤薙山東南斜面の霧降高原の標高1030m〜1320mに位置する大牧場が大笹牧場。南側の初夏にニッコウキスゲ咲く霧降高原とは六方沢橋で結ばれています。「天空のリ…
日光山中、男体山、富士見峠、帝釈山から流れる荒沢川に懸かる落差45m、幅2mの滝が裏見の滝。深山幽谷の風情があり、華厳の滝、霧降の滝とともに日光三名瀑のひとつに数えられています。滝を裏側から眺められることが、その名の由来…
切込湖・刈込湖を誕生させた三岳を源流に、光徳牧場を抜け戦場ヶ原で湯川に合流する逆川。光徳牧場近くにある堰止湖が光徳沼です。標高1410mほどで、すぐ北側には光徳牧場の牧草地が広がっています。また光徳牧場と戦場ヶ原を結ぶハ…
栃木県日光市、奥日光、光徳沼の北側に広がる3万平方メートルの牧場が光徳牧場(こうとくぼくじょう)。明治30年に開場されたという歴史ある牧場で、美しい自然林に囲まれた牧場内に牛や馬が放牧されています。売店の搾り立て牛乳やソ…
栃木県日光市、日光山内の入口、大谷川(だいやがわ)に架けられた朱塗りの木橋が神橋(しんきょう)で、幅6m、長さ26.42m、水面からの高さは10.6m。その昔、日光開山の勝道上人(しょうどうしょうにん)が日光を訪れた時、…
足尾銅山から産出される鉱石輸送のために桐生〜足尾間に敷設された足尾鉄道(その後、国鉄足尾線、JR足尾線)が前身のわたらせ渓谷鐵道。JR足尾線を引き継いで、平成元年3月29日に開業したのが、第三セクター鉄道のわたらせ渓谷鐵…
中禅寺湖の名前の由来ともなった寺で、延暦3年(784年)、男体山登頂を達成した勝道上人(しょうどうしょうにん)によって創建された日光山輪王寺の別院が中禅寺。勝道上人は、天応2年(782年)に男体山登頂を達成し、その後、二…
「井草の閻魔(えんま)さま」として地元では有名な閻魔大造像があるのが栃木県足利市井草町にある浄土宗の寺、利性院(りしょういん)。閻魔座像は朱塗りで高さ2mという巨像です。明暦年間(1655年~1657年)に創建されたとい…
栃木宿のほぼ中央、日光例幣使街道沿い建つ見世蔵を再生したのが山本有三ふるさと記念館。呉服商の子として栃木県下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に生誕し、『女の一生』、『真実一路』、『路傍の石』などの名作を残しました。執筆で愛用…
徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。遺言で、久能山に遺体を納め、増上寺で葬儀を行なったら、一周忌の後に日光山に小さな堂を建て、…