絹の清水
隣にあった豆腐店(卯助ま)が絹ごし豆腐を作っていたことが名の由来という富山県黒部市生地の湧水が絹の清水(きぬのしょうず)。絹のような豆腐を生み出す清水という意で、今も生活用水として活用されています。黒部市生地地区は、黒部…
隣にあった豆腐店(卯助ま)が絹ごし豆腐を作っていたことが名の由来という富山県黒部市生地の湧水が絹の清水(きぬのしょうず)。絹のような豆腐を生み出す清水という意で、今も生活用水として活用されています。黒部市生地地区は、黒部…
富山県黒部市宇奈月町、宇奈月温泉から黒部川の少し上流側にある宇奈月ダムのダム湖・うなづき湖の湖畔、尾の沼公園にある体験交流施設(立ち寄り湯)が湖畔の湯とちの湯。うなづき湖の湖畔を走る町道うなづき湖線の終点にあり、泉質は宇…
富山県黒部市宇奈月町、宇奈月ダムのダム湖・うなづき湖の湖畔、新柳河原発電所の対岸に位置するのがうなづき湖第二展望広場。展望広場とは名ばかりで、湖側に木が茂りあまり眺望はありませんが、駐車場の脇に、宇奈月温泉木管事件碑が立…
富山県黒部市宇奈月町、うなづき湖の湖畔を走る町道うなづき湖線の終点にあるのが尾の沼公園。黒部市尾の沼体験交流施設「とちの湯」がありますが、湖岸一帯が尾の沼公園(展望駐車公園)として整備され、展望広場も用意されています。対…
富山県黒部市宇奈月町、宇奈月ダムのダム湖・うなづき湖のダムサイトに近い展望台がうなづき湖第一展望広場。うなづき湖に架かる湖面橋の北詰め、尾瀬場トンネルの入口近くの湖畔に位置する展望台。湖岸を走る黒部峡谷鉄道、その先の新…
富山県黒部市宇奈月町、黒部峡谷鉄道宇奈月駅横の駐車場の奥から階段を上った山上にある展望台がやまびこ展望台。眼下に黒部峡谷鉄道の新山彦橋を眺望する絶景ポイントで、鉄道ファンに人気の撮影ポイントにもなっています。黒部峡谷鉄道…
富山県黒部市宇奈月町、宇奈月温泉開湯80周年を記念して宇奈月公園内につくられた足湯が宇奈月温泉足湯おもかげ。黒部川の急流に洗われた自然石を利用したもので屋外にあるが屋根が付いた東屋風になっています。宇奈月温泉は黒部川の約…
宇奈月温泉(宇奈月駅)から黒部川に沿って上流へと走る黒部峡谷鉄道(黒部峡谷トロッコ電車)。その終点となるのが欅平駅(けやきだいらえき)。欅平駅は有人駅で欅平駅2階には奥鐘山の断崖絶壁を眺めるレストラン「レストイン欅」もあ…
富山県黒部市宇奈月温泉、黒部峡谷鉄道(黒部峡谷トロッコ電車)の終点、欅平駅(けやきだいらえき)から奥鐘橋を渡り、名剣温泉、祖母谷温泉を目ざすと、徒歩5分ほどのところにあるのが人喰岩。岩がオーバーハング状になった登山道で、…
富山県黒部市宇奈月町、黒部峡谷鉄道の終点・欅平駅(けやきだいらえき)から名剣温泉・祖母谷温泉(ばばだにおんせん)方面に向かう途中、黒部川本流に架かる人道橋が奥鐘橋。橋の上からは上流側に新黒部川第三発電所を展望します。奥鐘…
富山県黒部市宇奈月町、昔、野猿が飛び越えたというところから名付けられた黒部峡谷の景勝地が猿飛峡展望台。白馬連峰(しろうまれんぽう)・清水岳(しょうずだけ/2603m)から派生する尾根の末端で、黒部川の流れがゴルジュ状に狭…
富山県黒部市宇奈月町、黒部峡谷鉄道鐘釣駅(かねつりえき)から徒歩3分の場所にあるのが万年雪展望台。白馬岳から派生する尾根上のピーク、百貫山(1969.9m)に降った雪が雪崩によって百貫谷に堆積し、すべてが融ける前に冬を迎…
富山県黒部市宇奈月町、昭和60年に完成の出し平ダムによって誕生したダム湖が出し平ダム湖。最大貯水量は901万立方メートル。周囲は黒部奥山国有林に囲まれている静寂の湖です。黒薙温泉のさらに上流のダム湖湖畔に黒部峡谷鉄道の…
富山県黒部市宇奈月町、黒部峡谷鉄道沿線の黒部川本流に築かれたダムが出し平ダム。昭和60年の完成は、関西電力が手がけた黒部の電源開発では最新のダム。下流へ土砂を流すことで海岸線の後退を防ぐことを目的に、ダム湖の堆砂を排出す…
富山県魚津市を流れる片貝川は急流河川として有名で、かつていわゆる「我田引水」の水争いが多発。そこで築かれたのが片貝川東山円筒分水槽。円筒分水とは、農業用水を正確に一定の割合で配分するための施設。片貝川右岸(上流から見て右…
十勝海岸沿いに点在する十勝海岸湖沼群のひとつで、大樹町晩生にあるのが生花苗沼(おいかまないとう)。湧洞沼の南西5kmに位置する秘沼です。オイカマナイは、アイヌ語のオイカ・オマ・イ(oika-oma-i=越る・入る・ところ…
富山県中新川郡立山町芦峅寺、常願寺川を渡る富山地方鉄道の橋梁が千垣橋梁。大正中期から常願寺川の電源開発を行なうため、建設資材運搬用に県営の鉄道建設を計画。千垣橋梁は、昭和12年に完成した全長117mの鋼スパンドレルブレー…
富山県滑川市大浦、劔岳を源とし、暴れ川で知られる早月川に築かれた200mほどの石造の堤防が五厘堤で、明治29年の完成。堤防の法面(のりめん)勾配が5厘なのが名の由来です。洪水により一部は破壊されていますが、大部分は築堤当…