掛川城御殿
掛川城の二の丸にある御殿。御殿とは、藩主や藩の重役が政務を司る城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された建物。藩政時代の御殿がそのままの姿で現存するのは非常に希少で、掛川城に登城するなら必ず立ち寄りたい場所で…
掛川城の二の丸にある御殿。御殿とは、藩主や藩の重役が政務を司る城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された建物。藩政時代の御殿がそのままの姿で現存するのは非常に希少で、掛川城に登城するなら必ず立ち寄りたい場所で…
東海道の要衝を守る名城、掛川城。現在の天守は、平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守ですが、往時の様子を忠実に再現しています。近世城郭を築いたのは、平成18年のNHK大河ドラマ『功名が辻』の主人公・山内一豊。天下…
木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城。松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝5天守のひとつで、築かれた年代は最古級という天守です。木曽川を隔てた対岸は中山道の鵜沼宿(うぬましゅく)で、濃尾平野北端の交通の要衝に位置してい…
姫路城、彦根城、松本城、松江城と並ぶ国宝の天守が犬山城。天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式。木之下城(現・愛知県犬山市犬山愛宕…
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
名古屋城の二之丸庭園は、尾張藩の初代藩主、徳川義直が築いた庭園で、元和年間(1615年〜1623年)に二之丸御殿の造営にともない御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を中心として作庭された大名庭園です。御三家筆頭の尾張藩の大名庭…
大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や…
大阪の中央に位置する、総面積106.7haの広大な公園。都心にある緑溢れる公園は「大阪みどりの百選」にも選定されている。もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の…
1612(慶長17)年築城の名古屋城は、明治時代まで約250年間、徳川御三家の筆頭尾張家の居城。現在、名古屋城の城跡は名城公園として整備されています。金の鯱(しゃちほこ)で知られる大天守閣は戦災で焼失し、昭和34年に再建…
慶長12(1607)年、将軍職を2代目・秀忠に譲った家康は隠居して駿府城(静岡市)に暮らします。 東海道の要衝である駿府に暮らすことで、江戸を守るのと同時に、西への睨みをきかしたのです。 人質時代に暮らした住みやすい温暖…
駿府城に居城する大御所(徳川家康)に拝謁する気持ちで、駿府城の本丸を目ざします。 今回はパート2で、二ノ丸から本丸への道のり。 前回、二ノ丸で坤櫓を見学したので、今回は二ノ丸へ東御門から入城します。 三ノ丸大手御門から入…
JR静岡駅前に降り立っても、そこが城下町という雰囲気はありません。 近代的な町並みだからです。 静岡の城下町は昭和15年の静岡大火と、昭和20年の空襲で大御所ゆかりの美しい家並みは失われてしまいました。 面影が残るのは、…
徳川家康は生涯のうち、3回駿府城に天守を建てています。 最初に駿府に来たときは、天文16年(1547年)、今川氏全盛期である9代・今川義元の時代。家康も松平竹千代という幼名を名乗っています。 人質として6歳から19歳まで…
慶長10年(1605年)、将軍職を子の徳川秀忠に譲り、駿府に隠居を予定した徳川家康は、天下普請によって駿府城を大修築。 慶長12年(1607年)には駿府城を居城として「大御所政治」が始まります。 駿府城は、名目上は徳川頼…
江戸城の本丸、二の丸、三の丸部分が現在の皇居東御苑。明治時代に宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、今も皇居の一部であることに変わりがなく、宮内庁が管理しています。昭和43年に公開され、江戸城の核心部分…
太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年…
江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。
江戸城の本丸を守る内濠(内堀)のひとつが三日月濠。明治21年、江戸城西の丸・吹上に明治宮殿で建設され、乾門(いぬいもん)が新造されたことで、乾濠と呼ばれるようにもなりました。三日月濠という名は、その名の通り、三日月のかた…