高知城・追手門
高知城の表門(大手)にあたる追手門(おうてもん)は、1801(享和元)年築、高知城にある15棟の国の重要文化財のひとつ。入母屋造本瓦葺で石垣を積み上げ、渡櫓をのせた櫓門で、侵入者に三方向から攻撃を加えることができる造り。…
高知城の表門(大手)にあたる追手門(おうてもん)は、1801(享和元)年築、高知城にある15棟の国の重要文化財のひとつ。入母屋造本瓦葺で石垣を積み上げ、渡櫓をのせた櫓門で、侵入者に三方向から攻撃を加えることができる造り。…
相模川水系中津川に建設された堤高156.0mの重力式コンクリートダムが宮ヶ瀬ダムで、平成12年に完成した東京近郊では最大のダム。関東地方では奈良俣ダム(楢俣川/堤高158.0m)に次ぐ高さで浦山ダム(浦山川・堤高156….
四国の最南端、土佐清水市の足摺岬突端に建つのが足摺岬灯台。岬の西の臼碆(うすばえ)は、黒潮本流が直接ぶつかる全国でも唯一の場所で、沖合は海の難所となっています。空海、ジョン万次郎ゆかりの地である足摺岬一帯は足摺宇和海国立…
白山中宮長滝寺を開いた泰澄(たいちょう)が発見して長滝と名付け、滝北側の洞窟で天文年間(1532年〜1554年)に長滝寺の僧・道雅法印が修行し護摩をたいたところ、阿弥陀如来の姿が燦然と現れたことから阿弥陀ヶ滝と呼ばれるよ…
親孝行な樵(きこり)・源丞内(げんじょうない)が山中で見つけた山吹色の水が、実は老父の大好きな酒で、これを飲んだ老父はすっかり若返ったという『古今著聞集』収録の孝行伝説の地、養老。そのシンボルが 落差32m、幅4mの名瀑…
1559(永禄2)年、遠藤盛数(えんどうもりかず)によって砦が築かれたのが郡上八幡城の始まり。1667(寛文7)年、6代城主・遠藤常友の時代に修復によって、幕府から城郭として認められ改修を行なっています。1755(宝暦5…
乗鞍23峰の烏帽子岳、四ッ岳、大丹生岳を源とする大滝川に懸かる落差64m、幅6mの豪快な滝が平湯大滝。平湯温泉のシンボルともなっている滝で、「日本の滝百選」にも選定。滝のすぐ下流側に平湯大滝公園が整備され、冬季は氷爆、さ…
岐阜県下呂市を流れる飛騨川の支流、濁河川(小坂川上流)に懸かる落差63m、幅5mの滝が根尾の滝。御嶽山(おんたけさん)の麓、下呂市小坂地域には200もの滝が落ちていますが、その代表格で「日本の滝百選」にも選定の名瀑が根尾…
関ヶ原の合戦では西軍の石田三成の本拠地となった城が大垣城。1535(天文4)年、美濃守護・土岐一族の宮川安定により創建。1596年(慶長元)年に伊藤祐盛が、豊臣秀吉の命により4層4階建ての天守を築いています(天守完成は天…
1597(慶長2)年、石田三成の妹婿・福原直高により、12万石の居城として築かれた平城が府内城で府内城跡は大分城址公園として整備されています。現在は文化会館がある大分城址公園は、天守のそびえた本丸周辺の水堀を埋めて整備さ…
岡城は、竹田市街の東2kmにあり、1185(文治元)年、緒方惟栄(おがたこれよし)が源義経を迎えるために築城したと伝わる、平山城の跡。標高325m、周囲は2つの川にはさまれ、阿蘇山の火砕流で形成された断崖絶壁に建っている…
大分県佐伯市の沖合、豊後水道の中央に位置する無人島、水ノ子島にある石造灯台が水ノ子島灯台で、明治37年3月20日に初点灯した歴史ある灯台。明治23年に大日本帝国海軍・呉鎮守府(広島県呉港)が完成し、水ノ子島に灯台の必要性…
大野川水系の支流・緒方川、緒方平野の田園地帯にある滝が原尻の滝。幅120m、落差20mの馬蹄型の弓状の名瀑で、阿蘇山大爆発で流れた溶岩の台地が削られたものとか。その姿は「東洋のナイアガラ」とも称され、「日本の滝百選」、「…
玖珠郡玖珠町を流れる駅館川(やっかんがわ)上流、日出生ダム(ひじゅうダム)直下に位置する西椎屋の滝。東椎屋の滝、福貴野の滝とともに、「宇佐の三瀑」のひとつに数えられる名瀑。高さ86mもの急崖を豪快に落下する大飛瀑は、迫力…
宇佐市安心院町(あじむまち)にあり、落差85mの巨瀑で、「九州華厳」の別名をもつ、東椎屋の滝(ひがししいやのたき)。西椎屋の滝、福貴野の滝とともに「宇佐の三滝」と呼ばれ、「日本の滝百選」にも選定。駐車場から滝までは300…
玖珠川(くすがわ)上流、大分県九重町の九酔渓(きゅうすいけい)にあるのが震動の滝。落差83mの雄滝、落差93mの雌滝からなる夫婦滝で「日本の滝百選」にも選定。水量の多い雄滝の水勢は周囲が震動するほどということが名の由来に…
西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)の広がる台地の中央、第五集団にある古墳群内唯一の横穴式石室墓が鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)。日向の神話では木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を嫁にと願う悪鬼が、姫の父・大山祇神(おお…
西都原古墳群の一部、男狭穂塚(おさほづか)は、墳丘長176m、後円部直径132m、後円部高さ18mの帆立貝形古墳で、九州最大の古墳。宮内庁により、天孫降臨伝説で天照大神の命により、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治す…