宝満山

福岡県筑紫野市と太宰府市の境界に位置する標高829m(最高点は868.7m)の山が宝満山。英彦山、脊振山(せふりさん)と並ぶ修験道の霊峰で、古くから山全体が御神体として崇められてきました。大宰府(だざいふ)においては鬼門(東北)鎮護の守護神として、平安時代には唐に渡る最澄が渡航の安全を祈願した山としても有名です。

明治以前は神仏混淆の霊山として崇められてきた

古くは竈門山(かまどやま)と呼ばれ、803(延暦22)年、最澄が唐への渡海の平安を祈るため、大宰府竈門山寺に薬師仏を安置(『扶桑略記』)。
847(承和14)年、帰朝した円仁は、竈門山寺(大山寺)で竈門大神のために読経を行なっています(『入唐求法巡礼行記』)。

中世に、八幡信仰と融合し、比叡山延暦寺の末寺に。
さらに宝満大菩薩という仏神となって、宝満山と呼ばれるようになり、英彦山修験道と結合して英彦山の胎蔵界に対し、金剛界の行場として、修験の山に転じています。
この頃には、比叡山同様に、さかんに峰入行も行なわれました。

貝原益軒(かいばらえきけん/福岡藩士)の『筑前国続風土記』には「筑紫の国の惣鎮守」と記されるように、筑紫平野の守り神として尊崇されてきました。
太宰府天満宮の手水舎の岩は宝満山から切り出されています。
日本遺産「大宰府」の構成資産にもなっています。

明治維新の廃仏毀釈により山中の諸堂が破却され、すべての坊が神職に転じています。

現在は宝満山山頂の花崗岩の巨岩上に竈門神社(かまどじんじゃ)の上宮が祀られ、山麓に下宮が鎮座しています。
かつては山中(8合目)に中宮がありましたが、明治時代に廃絶しています。
神宮寺だった明治初年の竈門山寺(大山)も神仏分離、廃仏毀釈で廃寺になっています。
山中にわずかに残る石仏や堂跡に往時をしのぶのみとなっています。

四季折々に美しく、年中登山者が多く、代表的な登山ルートは西南麓の竈門神社からの表参道コース。
一の鳥居、徳弘の井、百段がんぎ(階段)、阿加の井(7合目)、中宮跡(8合目)、馬蹄石などを経て竈門神社上宮の建つ宝満山山頂。
山頂周辺は巨石が累々としたロックガーデンのようになっており、羅漢めぐりと呼ばれる周回ルートも用意されています。

宝満山 登山コースタイム

西鉄太宰府駅〜(徒歩40分)〜竈門神社〜(表参道コース・徒歩25分)〜一の鳥居〜(表参道コース・徒歩10分)〜徳弘の井〜(表参道コース・徒歩25分)〜百段がんぎ〜(表参道コース・徒歩15分)〜中宮跡〜(表参道コース・徒歩20分)〜宝満山山頂

宝満山山頂〜(羅漢道・徒歩10分)〜遠望岩〜(羅漢道・徒歩25分)〜中宮跡〜(行者道・徒歩45分)〜愛岳山〜(行者道・徒歩20分)〜竈門神社〜(徒歩40分)〜西鉄太宰府駅

合計歩行時間=5時間
西鉄太宰府駅からコミュニティバス「まほろば号」で終点・内山(竈門神社前)下車も可能

宝満山
名称 宝満山/ほうまんざん
所在地 福岡県太宰府市北谷
関連HP 太宰府市公式ホームページ
電車・バスで 西鉄大宰府駅から市営バスまほろば号循環線で内山停下車、山頂まで徒歩2時間
ドライブで 九州自動車道太宰府ICから約8.6kmで竈門神社駐車場
駐車場 100台/有料
問い合わせ 太宰府市観光推進課 TEL:092-921-2121/FAX:092-921-1601
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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